はじめまして、「おにろく工房」の高井 修です。ホームページというものを初めてつくりました。
といってもぼくじしんは洗濯機の操作くらいが精一杯で、この文章いがいは写真の撮影からすべて妻がやってくれたことです。

 二十年前に一年間職業訓練校で木工を教えてもらいました。以後自営でほそぼそと作りつづけています。スプーンのようなちいさなものは一度に五・六個つくりますが、ほとんどは一個生産です。最初のデザインから最後の漆ぬりまでひとりでやっています。

                                       2008年10月

今後、この「おにろく通信」にて近況をお知らせしていこうと思っています。


   

2012年1月20日(金)
おにろく通信 117



 朝、起きると、雪でした。
 工房の木工旋盤の前から窓のそとを見た風景。樺の椀を1こ挽いたほかは、雪を掻いたり、ながめたり、そんなことで終わりました。

 この冬はここまで雪はほとんど降らず、寒い冬でした。雪が降る日は暖かい。
 良い一日でした。



2012年1月1日(日)
おにろく通信 116


 夕方がすこしづつ明るくなってきました。
 それにつれて、夕方の凛の散歩は夜のほうにすこしづつづれてきました。午後5時といえばもう暗かったのに、きょう、2012年1月1日の午後5時はこんなに明るい。

 過ぎてしまいましたが、一年のなかで冬至がいちばん好きです。北海道の、死んだ母がしてくれたように、冬至には南瓜と小豆の煮たのを食べ、ゆず湯にはいります。北海道ではゆず湯はどうだったか、記憶は明確ではありません。そのころ家には風呂がなく、こどものぼくは銭湯の松の湯(まれに遠い亀の湯)にいっていたのです。銭湯の帰り、濡れたタオルを数を数えながら振り回し、いくつで凍りつきピンと立ち上がるか楽しんだものです。家に着くとよく拭かなかった髪は凍りついて鬼のように立ちあがり、母に叱られたものでした。
 そんなわけで、話は横道にそれましたが、正月とか一切合財ぼくにはあまり興味がなく、きのうもいつものように眠り、今朝もいつものように起きて、いつもどおりしごとをしました。

 多分、ぼくの一年は冬至を境にしているのだとおもいます。冬至にむかって、ぼくはこの一年を生きていくのだとおもいます。

2011年12月24日(土)
おにろく通信 115


 妻が眼鏡を買ってくれました。1月1日がぼくの誕生日で、その祝いだそうです。ぼくには贅沢すぎるほど良い眼鏡で、もったいない気がします。
 読書や手元のこまかい仕事、それとパソコンの文字がはっきり見える距離に焦点をあわせて、作ってもらいました。ですから、いまこうして入力するのも、以前よりずっと楽です。一時期、遠ざかっていた読書もまた面白くなり、頻繁に図書館にかようようになりました。仕事もずっとじょうずにできるようになる・・・かは、わかりません。

 冬になれば、自由な時間がたくさんできて、いろいろなものがつくれるだろうとおもっていましたが、それなりの雑用があって、なかなかそうはいきません。夏のあいだは忙しくてほおってあった、家の内外のかたづけやあれやこれや。そうこうするうちに、また春がきて、出て歩くようになってしまうのですから、自分の能力の小ささに深いため息がでてしまいます。
 さて、あすはかならず、桜のパン皿を一枚でも作りましょう。雑用のあいまを縫って。

2011年12月1日(木)
おにろく通信 114

 廃材を2リューべほどもらいました。細い角材で、長さが1メートル20センチくらいのものです。それを三つに切って、軒下に積みました。

 この春は、クラフトフェアで忙しく、薪を集められなくて困っていたので、助かりました。うまく燃やせば、春先までもつような気がします。これまでのところ予想はいつも希望で寒い春を過ごしているので、確かなことではないのですが・・・。

 さて、きょう午後1時ころから雪が降りました。初雪です。雪はいくつになっても嬉しいものです。灰色の空から次々に降ってくる。見あげて、体をひねりながらそれを避けていく。こどものころ、そうやってひとりで遊んだものです。いつも捕らえられて、まっ白になって終わるのですが・・・。
2011年11月19日(土)
おにろく通信 113

 凛は、昼、こたつにもぐって眠ります。熱くなって、もぞもぞ半身を出して、また眠ります。夜は妻の布団で眠ります。このごろは一日じゅう眠っているのです。

 ぼくは今年のクラフトフェアを終わりました。来年6月ころまではどこにも行きません。家で製作と読書をします。いろいろ作りたいものは頭のなかにあるのです。問題はそれがうまく外に出てこないことなのです。作って壊し、作って壊し、ストーブにくべて、温まります。この夏はたくさんのクラフトフェアに出店したので、ぼくにしてはたくさんの木を買うことができました。桜,栃、くるみ、栗、それらの板が玄関の前に積んであります。木工をしている人の住まいのようになっているのです。
 すべての板を無駄なく使えればいいなあ、とはおもいます。
2011年11月7日(月)
おにろく通信 112

 ひさしぶりに、息子の龍のライブを見て、少し歌がじょうずに歌えるようになっていて、うれしい驚きでした。そういえば、家で鼻歌を聞いて、「あれ? うまいな」とおもったこともあって、どうも少しうまくなっているようなのです。

 最近、龍は三曲入りのCDをつくりました。定価は無くて、500円ほどのカンパでいいそうです。興味のある方はぜひご連絡ください。

 以前も書きましたが、ぼくは一日家にいるので、龍の曲のメーキングはよく知っていて、このCDにおさめられている曲よりずっといい曲もつくっているのですが、この三曲もまあいい歌です。


 そろそろ、ぼくも家に閉じこもって、本を読んだり、工作に没頭できる季節になりました。頭のなかには作りたいものがたくさんありますが、そんなにたくさんのものが実現するわけではありません。
2011年10月20日(木)
おにろく通信 111


 くるみを100こ拾いました。
 ビニール袋にいれ、いちいの木にぶらさげてあります。西日をうけて、皮の腐敗がすすみ、袋に水滴がついています。

 松本クラフトピクニックのぼくのワークショップは、くるみの木を削って箸を作り、くるみ油を塗るというものでした。くるみ油は以前拾っておいた鬼ぐるみをその場で割り、布に包んで使用しました。
 くるみを割っていると、ちいさな男の子を連れた若いお母さんがきて、おもしろそうに見ています。話をすると、くるみが青い皮につつまれて木にぶらさがっていること、それを拾って皮をむくと、茶色い堅果があらわれることなどを知りませんでした。ぼくがそのことに驚いていると、目を離しているあいだに男のこがぼくの使っていた金床にくるみを置き、大きなかなづちを振りおろしたので、くるみがピューッと弾丸のように飛んでいきました。
 もっとも、ぼくにしたところで、20数年前木曽にきたとき、熟れればしぜんに落ちるくるみの実を棒でたたいて落としたこともあるのですから、若いお母さんに驚くことはないのです。

 このあと、皮が十分腐ったら袋から出し、靴で踏んであらかた皮をむき、目の粗いざるにいれて川で洗い、乾いたら、紙箱にいれてしまいます。
 
 あの小さな男のこにくるみを割ってあげて、実のひとかけを口にいれてあげ、「おいしい?」ときいたら、うなづいて、「うん、おいしい」といいました。

2011年10月13日(木)
おにろく通信 110


 朝夕、寒さが増して、火が恋しくなりました。ニ時間ほど焚けば気持ちよく過ごせます。

 あれこれ忙しく、この欄もなかなか書けなくて、何人かのかたは「高井さん、具合悪いかな?」と心配していらっしゃるかもしれません。ぼくは元気です。

 松本のクラフトピクニックが近づいて、いつものテントの他にもうひとつテントが必要で、それをずっと以前に買い、しまってあったヘキサゴンタープを使おうとおもって広げて確認したところ、ペグがなくなっていたりして駄目でした。急ぎ、松本まで車を走らせて、小さな簡単なテントを買いました。一事が万事で、このところそんなヘマばかりです。それも時間が足りない原因になっているのですが・・・。

 クラフトフェアの報告も近くまとめて書こうとおもいます。

2011年9月18日(日)
おにろく通信 109


 きょうはよく晴れて、ひさしぶりに、駒ヶ根の手しごと市場に出店しました。
 やはり、ぼくはここが一番すきです。

 たとえば、クラフトフェアには工芸好きの人たちがはじめからなにか良いものがあったら買おうとやってきます。良いものを見分ける目をもち、嗜好をもっています。それがいけない、とはもちろん言いませんが、なにかぼくは窮屈な気持ちがします。そんなんじゃなくて、普通の感覚で気にいったものをためらいながら買っていく、駒ヶ根手しごと市場にはぼくの好きなそんな感じがあって、好きです。
 きょうの出店者はぼくを含めて6人。ぼくは他の人たちから離れて、いつもの場所に店を出します。ここは人通りが少なくのんびりスプーンなどを削っていられます。たまには人がきて、なにか買ってくれたり、ひやかしていきます。

 ぼくの場所から10歩ほど前に出ると、ウッドデッキの端に立ちます。そこから写真を撮りました。中央左の高い赤い柱が吊り橋の支柱です。ここに立つと、みな、ああ、涼しいと声をあげます。川風が吹きあがってくるのです。ぼくの頭上には大きな楢の木があって、一日影を作ってくれます。

 あすも晴れるようで、また店を出します。

2011年9月8日(木)
おにろく通信 108

 夏バテとおもっていたのですが、右下腹の痛みがひどくなって、診療所にいくと、盲腸炎でした。とりあえず、鎮痛剤や化膿を止める薬を飲んで、ようすを見ることにしました。

 しなければいけないしごともあるのですが、体をちょっと動かすと腹が痛むので、たいていは眠り、ときどき本を読んで時間を過ごしています。

 以前にくらべれば、本を読むこともしなくなりました。ただなにか予感があったみたいに、2,3日前に塩尻図書館楢川分館で2冊の本を借りていて、それを読みました。

 あすの午後、また診療所にいきます。一番良いのは、薬と摂生でこのまま持たせることですが、切るのを冬まで延ばせれば二番目に良いことです。


 山法師の実が熟しています。摘んで口のなかでつぶし、種をぷっと吹き飛ばしたいところですが、腹を考えてやめておきます。
2011年8月29日(月)
おにろく通信 107

 ついに、ゴーヤが工房の窓をおおいました。いいものです。
 光が弱まるだけでなく、ゴーヤの青いにおいが工房に漂って、すがすがしい。

 きょう、妻が実をひとつ収穫して、晩ご飯に素揚げでだしてくれました。12センチくらいの小さなもので、ぼくが食べたのはその数片ですが、ぼくには十分苦い。いまものどの奥が苦くて、ちょっとまいっています。


 きのう、おととい、「木曽の手仕事市」に出展しました。きょうはそれも書くつもりでしたが、少し疲れているので、あしたにします。あしたの夜、このホームページの表紙のクラフトフェア出展情報をクリックしていただくと、ご覧になれるはずです。おもしろい二日間でした。
2011年8月16日(火)
おにろく通信 106


 工房の窓の外でゴーヤの花が咲いています。ゴーヤの花を見るのは初めてで、あらためて、キュウリのお仲間なんだと、実感しました。

 実もいくつかついています。キュウリなら見る間に大きくなりますが、ゴーヤの実はなかなか大きくなりません。これは長野の寒さのせいでしょうか? いずれにしても、本来の目的は暑さ対策なので、もっと繁茂して工房の窓をみっしり覆ってほしい。

 もうずっと以前ですが、「きうり」という詩を書きました。

     きうりをきった
     ぼくのてのひらで
     おにのようなとげと
     おもい
     そのみ
     けれども
     きりくちから
     にじみでたつゆは
     いきばをうしない
     すきとおったたまになって
     つるのさきにとどこおり
     それが
     ぼくのしょくよくを
     かなしませた

2011年8月3日(水)
おにろく通信 105

 
 文字を書く機会が少なくなりましたが、鉛筆がなくならないのは不思議です。
 ぼくがこどもの時は鉛筆は小さなナイフで削るものでした。その後、手回しの鉛筆削り器が出て、電動のが出て、それでも文房具店にいけば、今も鉛筆を削るためのナイフが売られています。
 工房で主に使う鉛筆は4Bです。減りが早いのでひんぱんに削ります。ぼくはナイフでゆっくり削るのが好きです。時々、砥石で研ぎます。すると、よく切れます。よく切れる刃物でゆっくり木を切るのは木工の楽しみです。
 このごろ、桑の箸を小刀で削り、売っています。クラフトフェアのテントのなかで削っていると、長い時間、見物する人がいます。  
 削っていて、これはこどものころの鉛筆削りだな、とおもいます。じょうずに削ろうと気持ちを集中すると、すうっとなにも考えない時間にはいっていくことができます。むずかしい工作ではなく、こんな単純なことのほうが、ぼくには興味深く、楽しい。

2011年7月20日(水)
おにろく通信 104

 ホームページの表紙の写真が「おにろくの店」ではなくなっているので、おやっ?とおもったかたもいらっしゃるとおもいます。
 都合で、「おにろくの店」を閉めました。楽しみに寄ってくださるかたには本当に申しわけないとおもっています。
 木工をやめたわけでも、病気や大きなケガをしたわけでもありません。店をやめた分、これからより一層しごとに励んでいきます。

 先週末、「駒ヶ根手しごと市場」に出店しました。小川のそばのウッドデッキのうえ、大きな水楢の木のおかげで、太陽が動いても、一日涼しい日陰でのんびり過ごしました。夕方には、ひぐらしが頭のすぐうえでカナカナ鳴いていました。

 8月から11月まで、あちこちのクラフトフェアに出店します。そのつど、この欄でお知らせします。

2011年7月1日(金)
おにろく通信 103
 22年前に木工の勉強のために木曽に来て、はじめて栃の実を拾ったとき、その静かな艶やかな色合いに驚きました。
 そのあと漆の勉強を始めて、栃の木を削ってバレッタ(髪どめ)を作り、すり漆をしたとき、栃の実の色合いにしあがって、ああ、栃の木に漆を塗ると栃の実になるのだなと、おもいました。

 写真右の栃の椀は2年ほど前に挽き、すり漆をしました。大きさは、直径105ミリ、全体の高さは90ミリです。ふつうの椀より細長い、上すぼまりの形の椀です。先日、それより大きな椀を注文され、きょう、挽いたのが左の椀です。かなり大きな椀です。直径126ミリ、深さ90ミリ、全体の高さ120ミリ、高台の高さ18ミリ。今後しばらく時間を置いて、すり漆にかかり、納品は来年です。
 注文をいただいたとき、適当な大きさの栃の材料が手許になく、お断りしようとおもいましたが、その後、厚さ126ミリ、幅20センチ、長さ2.2メートルの材が見つかって、ようやく形になりました。

 この栃の木は、杢のある、美しい木です。栃の実のような、美しい椀を作らなければなりません。
2011年6月24日(金)
おにろく通信 102

 ひさしぶりに、凛です。

 夕方の散歩。いつものことですが、悪い後あしをからませて、へたりこみ、ひと休みです。
 きょうは暑い日で、埼玉県の熊谷市は39.8度だったそうです。しゃがみこむと、舗道も焼けて熱く、このあと、ぼくは凛を抱きあげて、木の下へ移動しました。


 クラフトフェアの出店も6月4、5日の「くらふてぃあ杜の市」で一段落して、次は8月下旬の「木曽手しごと市」までありません。
 7月からは、駒ヶ根市で連日開かれている「手しごと市場」に出店する予定です。場所は「くらふてぃあ杜の市」の菅の台会場と同じところで、天気の良い土日祝日には、ぼくはそこにいます。多分、長い吊り橋のたもとで、川風で涼みながら、小刀でスプーンなど削っていますので、お近くのかたはお越しください。

2011年6月17日(金)
おにろく通信 101



 きのう夕方、雨が降りました。
 以前大家さんに大きな樽をもらっていたのを思いだし、急ぎ雨樋の下に据えました。すこし時間を置いて見にいってみると、もう口まで一杯になっていました。
 ちょうど妻が工房の窓の下にプランターを置き、ゴーヤの種を蒔いたので、これからはこの樽の水が役にたつでしょう。ただ、ぼくは食べ物の好き嫌いが少ないのですが、ゴーヤの苦味はちょっと苦手で、ゴーヤが豊作で毎夜ゴーヤチャンプルが食卓に出てきたら困るなあと、まだ芽を出さないうちから心配しています。もともと、夏の日射し対策にとゴーヤは植えられたのですが・・・。
2011年6月10日(金)
おにろく通信 100

 ぼくは低血糖症で、ときどきフラフラします。それで飴は手放せません。外出の時はかならずポケットに二つ三ついれていきます。飴を忘れたのに気づくと、それだけでもフラッとします。
 ぼくの娘はその体質を受けついだらしく、ときどきフラフラするそうです。ぼくも娘も35度台の低体温で、それも共通していますが、娘は気が強く、ぼくはその反対です。

 店の黒漆の木皿には、数種類の飴が常に盛られています。このごろのぼくの気に入りは、100%マスカットのど飴、100%りんごのど飴(以上、カンロ)、沖縄シークヮーサーのど飴(ノーベル製菓)です。木皿には、ノンシュガー枇杷蜜のど飴(カンロ)、デコポンキャンディー(熊本あしきた農業協同組合)もはいっていますが、ぼくは主にマスカットとりんごを食べ、あまり贔屓が強すぎて気がとがめるときに、枇杷とかデコポンをなめます。マスカットとりんごはすぐになくなるので買い足しますが、枇杷とデコポンは長もちします。
2011年5月20日(金)
おにろく通信 99

 ひところ、葉書にアクリル絵具で絵を描くのが好きでした。一日に一枚くらい描いていました。
 そのころ、「おにろく歳時記」という題で一ヵ月に一枚絵を描いていました。鬼の子がいて、俳句の添えてある絵です。もう今では絵を描くことも、描きたいとおもうこともなくなりましたが、ときどき絵をおさめてあるファイルをとりだして、ながめることはあります。

 先日ふとおもいたって、「おにろく歳時記」を自作の胡桃の額にいれて、店に飾りました。
 ぼくの絵はもちろんまったく初心者のもので、たとえば、今月の絵は黄色の背景に鬼の子と黒犬が楽しげに歩いているだけのものです。言葉は「歩こうよ山吹の花の指さすほうへ」。2002年に描いたもので、そのときモデルになったわが家の凛は5歳、脚が悪いながら、まだ元気に長い散歩もできていたのです。
2011年5月15日(日)
おにろく通信 98
 新しいものを作ると、家でまず使います。
 失敗したものも、使える程度なら、捨てずに家で使います。
 写真は、胡桃のふたつき菓子器です。一木をふたと身に切りわけ、まずろくろで身を挽き、そのあとそれにあわせてふたを挽きます。身を作りおえ、ふたの仕上げに裏を削っていたとき、刃物を強く押しつけたために、ふたがろくろの保持器からポンと飛びだして、床に落ち、その衝撃でつまみが根元からポッキリ折れてしまいました。もうほとんど完成の段階で、がっかりしましたが、すぐ木工ボンドで接着すると、思いのほか密着して支障なく使えます。もちろん商品にはならず、わが家の菓子器になりました。

 それは二ヶ月ほど前のことですが、今では黒味と艶が増して、骨董品のような顔をして、食器棚のうえにのっています。写真では海老せんべいが少しはいっていますが、ふたをしておくと、木が湿気を吸ってくれて、しっけるのが遅いようです。
 ふたは失敗したときのまま、削りかけなので、早く完成してくれるようにと妻にいわれていますが、忙しいので、当分このままでしょう。
2011年4月29日(金)
おにろく通信 97
 気がつくと、桜が満開でした。
 いつもの年なら、気にかかって、「まだ蕾は固いね」とか「二つ三つ開いたね」などと妻と話をするはずなのに(あるいは、そんな話があって、ぼくがなにかウワの空で覚えていないだけなのか)、まったく気がつかないうちに、咲かれてしまいました。ともかく、裏の保育園の庭の桜はいま盛りです。

 先週の土曜、日曜日は群馬県の高崎市で、先々週は小布施町でクラフトフェアに出展しました。
 ことしはあちこちのクラフトフェアに参加するつもりで、元気に家を出るのですが、もともとこちらからは見知らぬ人に容易に話しかけられない性分で、それでも二日目には少しは気分がほぐれましたが、一日目はテントの奥で、海の底の貝のように口をつぐんでいました(そんな時は周囲の風景が実体のない遠い書割りのように感じられます)。次は、6月第一の土曜日曜日に駒ヶ根市で開かれる「くらふてぃあ杜の市」に出展します。徐々になれて、気楽に息がつげるようになるといいのですが・・・。
2011年4月3日(日)
おにろく通信 96
 ときどき冷たい風が吹きましたが、日ざしのあたたかい一日でした。

 昼、店にいく途中、奈良井駅近くの踏切りの崖にたくさんの猿がいました。何か食べるものがあるらしく、のどかに地面からつまみあげて口に運んでいます。うれしくて、近づいて、ケータイのカメラを向けると、みなそそくさといなくなり、しょうがないので、足もとのオオイヌノフグリを撮りました。

 この春、五つのクラフトフェアに出展を申しこみましたが、そのうち三つに出展できることになりました。
 4月16、17日、小布施町の「境内アート小布施×苗市」、23、24日、高崎市の「群馬の森クラフトフェア」、6月4,5日、駒ヶ根市の「クラフティア杜の市」です。
 なんとか、商品の準備、什器の準備も終わり、あとは包装紙とかのいろいろなこまかい用具をととのえられれば、息がつけます。

 きょうは午前、山にいき、ほだ木を集めました。灯油が無くても、薪ストーブを燃やせば暖をとれるというのは嬉しいことです。
 山は手入れをする人もなく、荒れています。昔の生活は不便で辛い労働を必要としますが、とても合理的なものです。ぼくたちは快楽を求めて、大切なものを失ってしまいました。
2011年3月20日(日)
おにろく通信 95



 きのうときょうの午後、冬のあいだ閉めていた店を開けました。きのうは晴れ、きょうは雨、寒い一日でした。

 体育館の横の川原に一本の若い胡桃の木があります。おととし二百個、去年五十個、ぼくはその木の実を拾いました。今はすっかり葉を落とし、なめらかな皮膚の、痩せた枝を空に伸ばしています。これからこの冬また店を閉めるまでぼくはこの木を見ながら歩くことになります。

 二百個と五十個の胡桃の実はそれぞれの紙箱におさまって、工房の棚に載っています。つぶして油を取ったり、ときどきおやつにしたりします。
2011年1月17日(月)
おにろく通信 94
 先週土曜日(15日)の夜、妻と連れだって、松本のちいさなライブハウスに息子の龍の演奏を聴きにいきました。常連たちだけ集う新年会のような和気あいあいのライブで、三時間ほどのんびり過ごしました。

 ぼくは家の工房でしごとをし、龍は午前中家で練習をするので、ぼくはしぜんいつも龍の歌を耳にすることになり、龍の作る歌はみな知っています。
 凛は龍の音が気にならないらしく、すぐそばで大きな声で歌ったり、ギターをかき鳴らしてもいやがらずにくっついています。きょうの写真はそんな風景。ふたりのむこう側には薪ストーブが燃えています。薪ストーブ周辺は凛のテリトリー、龍は侵入者で、凛はすこし不満で文句をいいたいのかもしれません。

 ところで、龍のライブ当日は雪。家を出る前に一時間ほど雪をかきました。帰りの夜道は凍りついていて、スリップがこわくて、なるべくブレーキをかけずにそろそろと車を走らせました。
2011年1月7日(金)
おにろく通信 93
 きょう、真冬日でした。きのう工房の砥石の水を捨て忘れ、朝、見ると、桶の水はシンと静かで、氷を張る準備をしているようでした。

 写真は家の近くの柳の木です。高さ30メートル、胸高1.2メートル。太い枝が電線の邪魔になるので切られ、腕を失った人のようで痛々しい。今は冷たい風にカラカラと枝を鳴らすばかりですが、春には美しい芽吹きでぼくたちを楽しませてくれます。
 凛は家のそばで用をしてサッサと帰るので、ぼくは家から抱いて出て、この柳の木の下で凛を放します。ここからなら、まっすぐ家に帰っても50メートルほどは歩くことになるからです。途中、凛は長い尾をピンと立てて小用をしたり、大きな用をしたりしなかったりします。道を横切るとき、車が走ってくると、とおり過ぎるまで、ジッと待ちます。

 このところ、自家用のテーブルを作っています。ずっと大きな物を作っていなかったものですから、失敗ばかりしていますが、大きな物の製作は小さなものとは違う苦労と楽しみがあります。
2010年12月31日(金)
おにろく通信 92



 きょうは、おおみそかです。

 写真は、ことし最後の、凛の散歩。
 冬至を過ぎて、すこしづつ、日が長くなっています。写真を撮ったのは、五時すこし前。まだ十分に光があります。

 凛の足の衰えはやや鈍化したようです。一時はすぐ動けなくなり、なにか補助具を考えなければならないとおもいましたが、自力で歩きつづけています。きょうの写真も何枚も撮ろうとしたのですが、意外と素早くカメラに寄ってくるので(あるいは、ぼくの動きがとても鈍くなりつつあるのか)、この一枚を撮るので精一杯でした。

 へなへなと座りこんだり、つまずいてゴテッと倒れたり、そのつど、立ちあがろうと、凛はジタバタもがきます。凛のように、倒れたら、ぼくもジタバタして、立ちあがるように努力しましょう。
2010年12月24日(金)
おにろく通信 91
 きょうは昼前から、冷たく強い風が吹きました。夕方の凛との散歩は、風に押されて、ピューっと家に着きました。宙を飛ぶような凛の格好がおかしくて笑おうとしましたが、寒さで頬がこわばって、うまく笑えませんでした。
 きょうの写真はおとといの朝、散歩のとき撮りました。ひさしから落ちる雨滴が砂利の上に薄く載った雪を打つ様子です。抽象的な文様のように美しいので、見とれました。

 桜の丸太を買いました。直径30センチ、長さ4メートル。細い丸太ですが、椀用に、芯のところで四分割に挽いてもらい、そのまま製材所にあずかってもらいました。来春、工房に運び、すぐじぶんで椀用に小さく切って、旋盤で荒削りをして、棚に積んで乾かすつもりです。三、四年先の話ですが、大椀、汁椀、こども椀、猪口などあわせて数十個できるはずです。
 その日、製材所の土場には、桜の丸太の横に、直径40センチ、長さ4メートルほどの栃の丸太もあったのです。木口を見ると、栃らしいきれいな白で、素直に育ったらしい通直な木で、これも椀用に欲しかったのですが、なんとか我慢しました。でも、次に行ったとき、まだ買い手がなかったら、きっと買ってしまうだろうとおもいます。好き嫌いはもちろんありますが、木はどれもそれぞれに美しいので、見ると、なんでも欲しくなります。以前から、柿の木も欲しくて、良いものがあったら手に入れてくれるよう、頼んできました。

 きのう、「群馬の森クラフトフェア」に出展を申しこみました。来年、四月二十三日、四日、高崎市で開かれる催し物です。、
2010年12月6日(月)
おにろく通信 90
 きのう、以前この欄で書いた、宇田川さんの「アトリエ」に行ってきました。ほとんど初めての安曇野で、何度か道に迷いました。
 安曇野じたいが別荘やギャラリーの多いしゃれた土地柄ですが、「アトリエ宇sora」も広い敷地の片隅に立つ洋風のきれいな建物でした。(せっかくカメラを持参したのですが、撮り忘れたため、きょうの写真は、そのあと訪ねた「安曇野ちひろ美術館」での一枚です。
 二十年前の上松技術専門校時代の宇田川さんは大きく、精悍な風貌でしたが、今は痩せて物腰がとてもやわらかくなりました。作品も直線的でボリュームのあるものから、柔らかな曲線的なものに変わっています。イスやテーブルなどを主に作っているのですが、スケールも以前より小さいものが多く、子供イスなどはとても愛らしくできあがっていて、昔を知っているぼくには新鮮な驚きでした。
2010年11月19日(金)
おにろく通信 89
 
 
 朝、凛と散歩をしていたとき、家の前のタムシバの木の葉が雨のようにサアサアと降りつづけていました。
 きょうはよく晴れて、風のない、寒い一日でした。
 昼、すこし空気がぬくまったとき、写真を撮りました。

 奈良井駅前に店を借りてから、クラフトフェアに出店しなくなりましたが、来年は長野県やその近辺のクラフトフェアにできるだけ参加しようとおもっています。二日前、「境内アート小布施×苗市」に出店を申しこみました。長野市の隣の小布施町で来春四月中旬に開催される予定です。

 このところ、木工旋盤のしごとばかりしています。なかなかうまくなりませんが、作りつづければなんとかなるのかな、ともおもっています。目をつむっていても形ができあがっている、というようなところまでいきたいとおもって・・・。


2010年10月31日(日)
おにろく通信 88
 この欄をすこしの間休みました。また始めます。

 写真は、つい今しがたの凛です。夕食を終え、これから眠りにはいろうとしています。凛については、また、ゆっくり書きます。

 16日、松本市のあがたの杜でクラフトピクニックに出店していた宇田川さんに会いました。宇田川さんはぼくよりかなり年下ですが、平成一年の上松町職業訓練所木工科の同級生です。当日は良い天気で、宇田川さんはお客さんのこどもたち、そのおかあさんたちといっしょに木片をサンドペーパーですりおろして石を作るという作業を楽しんでいました。ひさしぶりの再会でしたが、元気そうで安心しました。

 宇田川さんは今、安曇野市に住んでいます。11月3日に「アトリエ宇sora」というクラフトショップを開店するそうです。近々、ぼくも訪ねるつもりで、後日、またこの欄で報告します。
2010年6月11日(金)
おにろく通信 87
 先週、この欄で書いた、欅の酒盆というのは、きょうの写真のこの盆です。
 
 今朝、二回目の摺漆をしました。漆を落ち着かせるために、一回目と二回目の間に一週間の時間を置きました。今後もこのやり方で作業をつづけます。一週間後、漆と砥粉を練り合わせて木目を埋め、その次はそれを擦り落として摺漆をし、それからあと四回漆を摺り重ねて終了します。そのあと漆がよく乾ききるまで一ヶ月以上はそのまま放置するので、この盆が店頭に出るのは、順調にいって9月上旬になります。

 天気が落ち着かないせいか、このところ体調が悪く、なにもせずにうつうつと過ごすことがあります。山から薪を運ぶのもずっと休みました。じぶんを励まして、立て直さなければなりません。

 夕方、庭のトマトに支柱を立てました。夏にたくさん実がついたら、娘に送ってやりたいとおもっています。
2010年6月4日(金)
おにろく通信 86
 新しい試みで、上に向かってつぼんでいく形のふたつき小鉢を挽いてみました(写真)。材料は栗、大きさは直径75ミリ、高さ72ミリ。果物の林檎のようです。
 木工旋盤でオイル仕上げの作品を作っていてよかったなとおもうことのひとつは、少々のヒビワレがあったり虫食いの穴があったりしても、材料を捨てずに使えることです。漆仕上げだと汁物を入れるという前提があるのでそうはいかず、完全な材料を使わねばなりません。どうしても捨てる部分が出てしまいます(といっても、わが家では薪ストーブの燃料になるので、まったく無駄になるわけではありませんが・・・)。
 写真には撮りませんでしたが、今週はもうひとつ新しい作品、酒盆をつくりました。材料は欅、大きさは直径306ミリ、高さ55ミリです。持ち易さを考えて、縁は少し端反りにしました。見付けは平面なので、手持ちの材料のなかから、なるべく木目のきれいなものを選びました。いつもなら木地を作ってもすぐには漆を塗らず様子を見るのですが、今回は待ちきれず、きょう一回目の漆を塗りました。今、風呂から取り出して、そばに置いてながめていますが、これから漆を塗り重ねてどんなふうに変わるかとても楽しみな盆になっています。おいしい酒がのれば、もっといい盆になるでしょう。
2010年5月29日(土)
おにろく通信 85
 儀式みたいに、24日(月曜日)から28日(金曜日)の午前中(作業がうまく進まない日は午後も少し)、一日一コずつ、ふたつき小鉢を作りました。それが、きょうの写真です。
 右から、桜、楓、栗、桑、楢です。大きさはそれぞれ違いますが、直径60ミリ、高さ50ミリほどです。小さくて、指輪とかピアスとかがようやくはいるくらいです。仕上げはグレープシードオイルと蜜ろう。値段は2800円です。明日から店に置きます。

 きょうは一日山しごとをしました。ケータイの歩数計を見ると、一万五千歩でした。今、足腰がとても張っています。
 一人きりのしごとですので、ほんとうに少しずつですが、倒木を薪にする作業がすすんで、山はきれいになってきました。晴れた日には毎日歩くので、小径のようなものができてきて、それを見ると、なんだかうれしくなります。
 一ヶ月ほど前に、熊鈴を買いました。以来、山ではそれを腰にさげて歩いています。ぼくは動物が大好きですが、こちらの好意が相手に伝わらないことはままありますし、お互いに不意に出会ってしまってはバツの悪いときもありますから、それを防ぐための鈴です。
 チェンソーではなく手のこで木を切っていると、とても静かなので、そんなときにリンリンと鈴が鳴ると、その音があんまり大きくて、驚くことがあります。ときどき背後でなにか気配がして、ふりむいて目をこらすこともあります。
2010年5月21日(金)
おにろく通信 84

 おにろく工房のホームページを新しくしました。
 写真映りが良くて、実際の作品よりずっときれいに見えます

 きょうは、真夏のように暑い一日でした。夕方、山にいき、木を切りましたが、チェンソーは使わず、手のこで切りました。ときどき、手をとめ、汗をふき、呼吸を整えます。だれにも会わず、静かで、気持を空虚にすることができました。

2010年5月15日(土)
おにろく通信 83
 きょうの写真は、槐(えんじゅ)のふたつき小鉢です(直径145ミリ、高さ72ミリ)。13日に身を、翌日にふたを作りました。

 凛の後ろ足の衰弱がすすみ、玄関の床から式台にあがれなくなったので、これまで二段だった階段を三段に作りかえました。踏み板の高さが7センチだったのが、5センチになりました。たった2センチの違いですが、凛はまたもとのように自力であがれるようになりました。
 凛はふつうに歩いていても転ぶことが多くなり、尻もちをついた状態から立ちあがるのがむづかしくなりました。上体を前に倒してなんとか立ちあがろうともがくのですが、立ちあがれず、結局、ぼくたちが力を貸してやるのです。ただ、数日前からはじぶんで工夫して、斜め前へ上体を倒して立ちあがることに成功して、以来、ぼくたちもなるべくは助けないように努力しています。
 さいわい、凛は消化器や循環器や呼吸器にはまったく不都合がなく、毎日元気に過ごしています。

 奈良井駅の線路沿いの桜がテグス病で切り倒されたので、そのなかの三本をいただきました。様子を見て、木工の材料として使えるのなら使おうと家に運びましたが、玉切りにした太いのを何個か残して、あとは薪にする以外に使いみちはないようです。
 とはいえ、いつも桧やカラ松を焚いているぼくにすれば、桜の薪はとても贅沢なもので、この冬は感謝してその暖かさをいただこうと思っています。
2010年5月7日(金)
おにろく通信 82
 この一週間はよく晴れて暑過ぎる日がつづきましたが、きょうは雨が降り、気温も下がって過ごしやすい一日でした。
 五月になって、山から薪を運び始めました。この冬は台所と工房の両方でストーブを焚きたいので、去年の四倍の薪を運ぶつもりです。思う存分焚きつづけると、そのくらいの量は必要なのです。それで晴れた日の夕方はかならず山へ行き薪を運ぶと決めていたので、連日山へ行かねばならず、ようやくきょうの雨で体を休めることができたわけです。

 写真は、栗の盆です(直径33センチ、高さ4センチ)。
 このごろは、漆より白木で仕上げることが多くなりました。漆は漆で美しいのですが、白木には白木の良さがあります。耐久性の点では漆のほうが良いのでしょうが、白木のものの古く寂れた感じも日常の手入れさえ良ければ、悪いものではありません。
 二年前に挽いた槐(えんじゅ)のふたつきの小鉢にわが家では飴玉を入れてありますが、妻がときどき布で拭いてくれるおかげで、作ったときよりもずっと艶のある良いものになっています。
 栗の木は杉の木と同じように、夏に成長する部分は柔かく、秋に成長する部分は堅いので、年を経ると柔かい部分が痩せて木肌に凹凸ができ、それが良い味わいになります。

 近々、ホームページの商品紹介の欄に最近作ったものを追加します。旋盤で挽いた盆や皿やボウル、ごく最近の独楽やピンクッションなどの小物も載せる予定です。ぜひご覧ください。 
2010年5月1日(土)
おにろく通信 81
 ひさしぶりに、また少し、凛のことを書きます。
 こげちゃ色の首輪がひとつ、青いひきづなが一本、ステンレスの深皿が二枚。その四点が凛に所属する物品です。そのうち二枚の皿はそれぞれ、水、ご飯用で毎日使われますが、首輪と綱は使われることなく茶の間の壁にぶらさがっています。
 きのう、凛は一年ぶりに首輪をしました。保育園の玄関前で、定期の予防注射をしてもらったのです。凛は人をこわがるので、ぼくは凛を後ろ向きにかかえ、ふり向けないように首輪にぼくの親指をとおして注射をしてもらったのですが、注射の瞬間、凛は興奮してひと声吠え、ぼくの頬をかみました。
 いつもそうなのではありません。まったく静かなときもあり、小便をもらして、ぼくの胸を濡らしたこともあります。人の決め事なので、積極的に反対する気持はぼくにはありませんが、人とも犬とも没交渉の凛にとって、予防注射は迷惑なだけ、のことかもしれません。
 その日、凛には夜まで首輪をさせておきました。使われないとはいえ、古い首輪なので、傷もあり、艶もあり、凛によく似合っているので・・・。

 きょうの写真は、おととい挽いた栗の深鉢です。直径195ミリ、高さ105ミリ。食用油と蜜ろうで仕上げました。ひび割れと染みがあって、汚いという人が多いものですが、ぼくはこういうのが好きです。大きさを比べるために、ぼくが使っている汁椀を置いてみました。材料は樺、直径118ミリ、高さ68ミリ。摺漆で仕上げてあります。
2010年4月23日(金)
おにろく通信 80
 今更ですが、健康は、特にぼくのような貧しい者にはなにより大切なものです。ぼくは頑健からはほど遠く、長いつき合いの病気もいくつか持っていますが、それでも、摂生してぼちぼち動いていれば、毎日を不具合なく過ごせるのは、幸運なことです。
 日曜日の山仕事で丸太を抱えたままころび、それ以来ずっとときどき胸が痛むのですが、それとは関係なく同じころから胃腸もシクシク痛み、きのうまで四日間お粥生活でした。奇妙な一致で、空模様もずっと乱調で、木工仕事の途中でも眠くなりいつもうつらうつらしてしまう状態です。天気とぼくじしんが連動しているようで、奇妙な感覚です。
 きょうはようやくふつうのご飯がすこし食べられて、体に力が戻りました。

 写真は今週の仕事、針山(ピン・クッション)です。
 器は天然の木曽桧(直径7センチ、高さ3センチ)、布は妻がパッチワークで作ってくれました。
 店の暖簾は妻の手作りで、和布のパッチワークのような物なのですが、それを見て、売ってくださいというかたや布物の店と間違えてはいってくるかたもいらっしゃるので、そんなかたにはこの針山を喜んでいただけるかもしれません。木と布を組み合わせた、おにろく工房らしい作品をこれからも考えていきたいとおもっています。
2010年4月16日(金)
おにろく通信 79
 桑の飯椀の縁の漆が擦り切れたので、それの修理を始めました。同時に桧の箸の先も摺り直しています。
 きょうの写真は、修理の間使っている息子用の椀と箸です。椀は直径128ミリ、高さ50ミリ、箸は長さ24センチ、元の太さは9×9ミリです。ぼくの箸と椀は息子のものより少し短く、小さく、妻の箸と椀はぼくのよりまた少し短く、小さくなっています。

 木の食器は良いものです。木の肌は柔らかく、あたたかく、軽く、そしてなにより静かです。静かというのは箸があたってもカチャカチャしないというような意味だけでなく、食卓に置いてあって、視覚的にも静かなのです。静かなことは、年をとるにつれて、なにより貴重なことのようにぼくにはおもえます。
 ご飯は焼物の椀で食べる習慣になっていますが、ぜひ一度木の飯椀を試してみてください。

 十日ほど前のことですが、焚き木拾いにあきて、少し遊ぼうとおもって、いつものところから真上に100メートルほど山を登ってみました。急な勾配を這いつくばり、時には木の枝や根にしがみついて、登ってみると、明るく、やや広い、平らな場所に出たので、驚きました。そこはいわば階段の踊り場のような所で、そこからまた山の斜面が上へとつづくのです。ここでもカラマツや広葉樹が切り倒され放置されていて荒寥感がありますが、もし小さな丸太小屋があり、煙突から煙がたなびいていれば、ピッタリ絵になるような場所です。こんな場所がすぐ頭の上にあるのも知らず、下で働いていたんだとおもうと、とてもおかしくなりました。
 この夏はときどきひとりでここに遊びにこようとおもいます。滑り落ちないよう、道みたいなものを作ったほうがいいかもしれません。
2010年4月9日(金)
おにろく通信 78
 きのうの午後からきょう一日、木工を休みました。花粉症で三秒に一度くらいくしゃみをして鼻をかまなければならなかったのです。息子には、くしゃみで死ぬ最初の人かもしれないといわれました。
 春先の花粉症はいつもぼくより妻が苦しむのですが、ことしは妻はまだ平気な顔をしています。それでも今はくしゃみも鼻もすこしは楽になり、それにつれて気力も回復しつつあります。

 茶の間の温度を20度程度に保てるようになったので、漆を再開しました。写真右は栗の小箱です。これまでのようなきれいな摺漆ではなく、厚塗りのゴタゴタの油絵のようにしたくて、まだ漆が乾かないうちに指でかきまぜたり、引き伸ばしたりしました。去年の秋、工程の途中でとめてあったのを押入れから出してきて、仕上げの摺り漆を二度しました。左は栗の八寸鉢、一度捨て摺りをしたばかりで、この先どう塗るかまだ決めていませんが、秋ころまでに終了させたいとおもっています。木目に面白味がないので、なにか工夫をします。
 ぼくはすこし漆カブレをするので、また花粉のアレルギーか漆のせいかわからないかゆみやプツプツで悩まなければなりません。

 四月にはいり、毎日店を開けるようになりました。平日は息子の龍がおもに開けてくれています。土、日はぼくか妻かが開けています。奈良井の町はまだお客さんが少ないようですが、息子は店でギターの練習をしていますし、ぼくはスプーンなどの小物を削っていますし、妻はパッチワークなどをしているはずです。木曽に用事のときはのぞいてみてください。
2010年4月2日(金)
おにろく通信 77
 今夜、蕗のとうの天ぷらを食べました。夕方、仕事から帰ってきた妻が庭の隅で摘んだのです。そのうち、蕗味噌を作ってもらって、あと、ご飯と味噌汁があれば、ぼくは十分です。

 立木をスパッと横に切れば年輪が見えますが、そこから掘って椀を作れば、それは縦木取りの椀です。それに対して、立木を横から直角に掘って椀を作れば、それは横木取りの椀です。
 以前は横木取りの椀もあったのですが、作業の容易さと歩留まりの都合で、今はほとんどが縦木取りの椀になっているようです。一長一短ですが、ぼくは横木取りのほうが木の美しさがよく表れているとおもうので、いつも横木取りの椀を作ります。漆を厚く塗って木目をつぶし、さらにそのうえに蒔絵をするような場合、縦でも横でも木取りの方法はかまわないのですが、ぼくの場合、漆を塗るときはすべて摺漆で、木目が美しくなければ見るべき所がなくなるのです。

 写真は、今週作った独楽です。
 ぼくは日本式のろくろではなく、欧米式の木工旋盤で挽物をしています。椀や盆は、英語ではフェイスワークといい、棒状の物は、センターワークと呼びます。日本の横木取り、縦木取りに対応する言葉かもしれません。
 このところ、フェイスワークのかたわら、少しずつセンターワークの練習をしているのですが、初めての商品として独楽を作ってみました。考え考え自分なりに納得しながらやっているので、まだたくさんはできませんが、これを発展させていけば、おもしろいものもできるかもしれません。

明日土曜日は息子の龍が店番をしてくれるそうです。ギターの音が店のなかで鳴り響くでしょう。
2010年3月26日(金)
おにろく通信 76
 写真は、先週「きんぴら工房」さんに納品した皿です。材料はミズメ、直径24センチ、厚さ2センチ。手前右の皿はこれまできんぴらさんで使われてきたもので、見本としてお借りしました。手削りで、側面に少しカンナの跡が残っています。ぼくの二枚は木工旋盤で挽きました。
 見本の皿は機能が明瞭、単純な造形で、それはぼくの製作の主題と一致しているので、できるだけ忠実に真似て作りました。一方の面は中心に向けて10ミリのくぼみ、もう一方は5ミリのくぼみ、側面にゆるい丸みがあります。ただ見本の皿は木の中心を含んでいて、そこで歪みができ、端を押さえるとがたつきます。ぼくの皿は木の中心をはずして作りました。よく枯れた(水分の少ない)材料ということもあって、この先、歪みのでる可能性は少ないはずです。
 この皿は一枚余分に作り、自家用にしました。この上にピザとか燻製とかいろいろな料理がのるはずです。わが家の皿に問題が起きれば、多分、きんぴらさんの皿にも異変が起きています。

 明日と明後日は晴れるようです。午前中は山で焚木拾いをし、午後は店番、夜は、できれば少し木工をしたいとおもっています。ここ10日ほど腰痛があって、予定の仕事ができていません。
2010年3月20日(土)
おにろく通信 75
 きょう、店を開けました。
 きのうのうちに掃除と陳列をすませておきたかったのですが、いろいろ忙しくてできず、午前中に準備して、午後から店を開けました。よく晴れて暖かくストーブのいらない一日でしたが、風が強く、時々、暖簾がハタハタと窓ガラスを打ちました。
 きょうは三連休の一日目でしたが、まだ奈良井の街を歩くお客さんの数も少ないようです。予報では明日は雨、ストーブに火を点けることになりそうです。

 きょうの写真は、店内の展示のひとつ、三十個ほどの豆皿を並べた棚です。このあと、ひとつひとつの皿に木の名前の札をつけました。はいってきたお客さんが「こうして見ると、木がそれぞれ違うのがよくわかる」とおっしゃったので、作ったかいがあったと嬉しくなりました。

 夕方、店を閉め、家に帰って、楢の六寸の深鉢を挽きました。ようやく、大きな物を挽く意欲と自信ができつつあるようです。明日は店を閉めてから、妻といっしょに車で塩尻のパン屋さん「きんぴら工房」に行く予定です。頼まれていた、ピザをのせる、中央の凹んだ八寸の皿を二枚挽きおえたので、それを届けます。
2010年3月13日(土)
おにろく通信 74
 閑話休題。

 妻の故郷は熱海で、冬になると、ダンボール箱の蜜柑が何回か送られてきます。蜜柑を食べると、ぼくはおなかがゆるくなるのであまり食べないのですが、なんだか今年はよく食べます。仕事の中休みに工房から茶の間に帰って、2,3個ムシャムシャ食べます(凛も蜜柑が好きで、ねだるので、一個につき2房くらいあげます)。喉の渇きも止まり、疲れもとれる、良いおやつです。
 熱海の蜜柑は北海道の姉のところにも送られ、姉はお礼にジャガイモと南瓜を送るそうです。ある時、姉が電話で、「あんまりたくさん蜜柑が送られてくるので、とても恐縮する」とぼくに言ったことがあります。蜜柑の木は山の上にあるので、夕方、コンテナを坂道の途中に置いておけば、朝にはコンテナは転がってきた蜜柑で勝手にいっぱいになっているのだから心配ないよと、ぼくは言いました。

 火曜日(9日)に雪が降りました。写真のように、庭のスモークハウスも雪に埋まりました。
 スモークハウスは設置して3ヶ月近く経ちました。外側はまだシャンとしていますが、何回か使用したので、内側をのぞくと、茶色に変色して、良いにおいが漂います。最初の一回は桜のチップを使ったのですが、二回目にヒッコリーを使って、それがおいしくて、以後ヒッコリーばかりです。

 雪は春の重い雪で、その後きょうまでにかなり目減りしました。まだ寒い日もありますが、20日(土曜日)には店を開けます。
2010年3月6日(土)
おにろく通信 73

 2日前、水目(ミズメ)の板を一枚(厚さ34ミリ、幅52センチ、長さ70センチ)買いました。きょう、それを写真のように切りわけました。直径24センチの盆を4枚、21センチのを一枚、10センチの豆皿4枚を挽くつもりです。まんなかと下の両端は薪ストーブの燃料にしましたが、上の両端で鍋の柄くらいは挽けそうです。
 水目は桜に近い木ですので、赤味の強い、堅く緻密な木です。漆ではなく、食用油と蜜ろうで仕上げるつもりです。

 以前、アメリカの木工雑誌を読んだとき、「メジャー・ツワイス、カット・ワンス」と書いてあって、アメリカの人もそうなんだ、とおもって笑いました。「一回切ってしまえば元には戻せないのだから、何度か計測して後悔のないようにしなさい」という意味だとおもうのですが、ぼくもたびたび「あちゃー」と声をあげることがあるのです。
 今度の水目も鉛筆で線を引いて、一日そのままにしておきました。間違いたくない、ということもありますが大きな板を切り刻むのは、何度経験しても、やはり、なじむことのできない、ショッキングな行為です。木のためにもいいものを作りたいとおもうのですが、それもなかなかむずかしいことです。

 このところずっと木工旋盤で豆皿を挽いてきましたが、そろそろレベルアップして、来週からもう少し大きなもの、直径12センチから15センチのものにかかるつもりです。

2010年2月26日(金)
おにろく通信 72
 きょうは朝からずっと雨です。これを書いている今も、雨が大きな音で屋根を叩いています。
 今週は晴れてあたたかい日がつづき、ほんの少しあった雪もほとんど消えてしまいました。くりかえして書きますが、ぼくは冬は冬らしく寒いのがいいので、朝の挨拶で「あたたかくていいですね」などといわれると、なんと答えればいいのかまったく困惑してしまいます。
 ただ正直なところをいいますと、今季は薪ストーブ用の薪の蓄えが十分ではなく、正月からずっと節約をしてきたのですが、このあたたかさのおかげでストーブを焚きつづけられています。この夏はがんばって、今季の四倍くらいの量の薪を集めようと思っています。今ある茶の間の薪ストーブのほかに、工房にもひとつ新しい薪ストーブを据えて、寒さに縮こまらずに快適に作業をしたいものですから。

 豆皿を並べて写真を撮りました。今週のしごとの一部です。
 中央はヒノキ、その奥がサクラ、そこから時計回りに、イチイ、クルミ、ホオ、カツラ、クリ、ブナ。ブナだけが直径12cmで、ほかのは10cm。高さは25mmから35mmです。
2010年2月19日(金)
おにろく通信 71
 先週、この欄で、しばらく木工旋盤を休んでいたら、すっかり感覚を忘れてしまい形にならなかった、と書きました。
 その後、ほかの仕事があって旋盤をできないでいましたが、きょう、ようやく豆皿をふたつ挽きました(写真)。左がクルミ、右がブナ、大きさは直径10cm、深さ2cmです。仕上げはクルミ油で拭きました。ようやくすこし感じを取りもどした気がします。
 これに懲りて、これからは毎日ちょっとの時間でも、木工旋盤のスイッチをいれようと思っています。

 ことしはいつから店を開けようかとカレンダーを見ると、来月20日(土曜日)から22日は三連休なので、そこから開けようかなと思います。当分、平日は休んで、土曜日、日曜日、祝日の午後一時から四時ころまで開けます。
 その時までには、豆皿だけではなく、直径30cmの大きな盆なども挽けるくらいまで、木工旋盤の操作も上達させておきたいと思います。またことしは漆で仕上げるものより、木目と木肌の美しさにこだわって、オイル仕上げのものを多く作っていきたいとも思っています。
2010年2月12日(金)
おにろく通信 70

 去年の夏から休んでいた木工旋盤を再開しました。
 最後の日と同じように旋盤を動かして、すぐ製品ができるつもりでいたのですが、ノミの刃を当てる力や角度がまったく思いだせず、いくつか作りかけで壊して、まだ一個も完成できないでいます。
 問題はもう一つ。ことしは今までのような汁椀ほどの小さな器だけではなく、尺盆や深鉢も挽くつもりでいたのですが、重い大きな材料を旋盤にのせると、振動が激しいこと。これではとても形になりません。借家なので、大がかりに床を改造するわけにもいかず、どうするか?

 そんなわけで、きょうは挽きたての器の写真を予定していたのですが、急ぎ、凛の写真です。
 夕方、散歩に出たとき、人が歩いていて、凛は気が散って、小用だけして帰ってきました。それで、夜の食事のあと、おおきな用をするために、また散歩に出たのです。
 昼、工房でふと窓の外を見ると、雪がゆっくり落ちていました。地面に雪がないとき、凛は草むらで用をするのですが、雪のうえだと道のまんなかだろうとどこだろうと、用をします。

2010年2月5日(金)
おにろく通信 69
 きょうの写真は、なんといっても、これでしょう。
 龍がプロデューサーとして奔走して、ようやく実現したオムニバスCD「NAKARA Shinsyu」がきのうできあがりました。

 昨夜は、龍と妻とぼくと凛の四人で、そのCDを肴にささやかな祝宴をしました。もっとも、凛に関しては、音楽に耳を傾けることもなく、なにかおこぼれにあずかろうと食卓の囲りを歩きまわっていましたが・・・。
 CDには一グループ一曲で十四曲が収められていて、うまいへたは別として、それぞれのオリジナル曲をぼくは楽しく聴きました。龍たちのバンド、トビカマスの「海へいこう」もリズムのさわやかないい曲です。
 龍も妻も酒は弱く、すぐ天下を取ったような赤い顔になるのですが、ぼくも昼の仕事の疲れがあって、間もなく炬燵で眠ってしまい、目をさましたとき、妻はCDを注文してくれた人たちに発送する準備をしていました。龍は昼借りてきたベン・ハーパーのDVDを見るためにじぶんの部屋に閉じこもったらしいのですが、気配をうかがうと、どうやらぐっすり眠っているようでした。

 龍は今夜は松本でバンド練習をしていて、不在です。明日は横浜、明後日は東京でライブをするようです。
2010年1月30日(土)
おにろく通信 68

 きょうは、写真がありません。

 この一週間、なにも商品を作りませんでした。自家用の、台所や洗面所の棚を作るのに忙しかったのです。棚といっても、仕口のしっかりした本格的なものではなく、必要な大きさに板を切って木ネジでとめる、日曜大工の作りですが、ずっと椀やスプーンなどの小さな商品ばかりを作っていたので、重い大きな板を工作するのは、とても新鮮な楽しさでした。妻にはまだまだ自家用の家具を頼まれているので、当分それに時間をとられるかもしれません。

 かなり前からですが、ぼくの時間はとても速く過ぎていくようです。一日一日を丁寧に生きているつもりですが、一週間が過ぎるのは、文字どおり、あっという間です。簡単で事務的な日記を書いているので、それを読みかえせば、じぶんがそのときなにをしていたのかはわかりますし、じぶんの作ったものも身の回りに残っているので、それが確かな証拠とおもうべきなのでしょうが、なにか、ぼくではない、だれかのしたことのような気がするのです。
 これは、悲しいような、不思議な気分です。

2010年1月22日(金)
おにろく通信 67
 フォークを作ってみました。
 材料は樺、大きさは、厚さ18ミリ、はば24ミリ、長さ21センチ。道具は、写真にある、繰り小刀と彫刻刀の平刀を使いました。仕上げは、漆を6回、摺りました。
 これは、まだ商品ではありません。これから、じぶんで使ってみて、役に立つのか,どれくらいの使用に耐えるのか、みてみなければなりません。
 木のスプーンは以前から作って、商品にもしていますし、じぶんで使ってみて、その長所短所をよく知っています。フォークは頭のなかにはありましたが、木の特性を考えて、金属にまさるものができるかわからなかったのですが、ともかく作って試してみようと作ったのです。

 以前、この欄で、レストランで金属のスプーンを使って、木のスプーンの軽さに驚いたことを書きました。そのあと、桑の飯椀を作って、それまで使ってきた磁器の碗をやめたことを書きました。数日前、たまたま磁器の碗でご飯を食べて、その重さに驚きました。やはり、いつの間にか、ぼくの手には木の椀の記憶が刻まれていたのです。

 桑の椀は、基本的に一日三回、妻と息子とぼくがそれぞれ使って、一年以上たちました。木工旋盤で挽いて、摺漆で仕上げたもので、これまでなんの不都合もなく使ってきましたが、縁の漆が擦れて白くなってきました。そろそろ漆を摺り直す時期のようです。

 ぼくの作った椀は、買っていただくときに、傷んだら直すことを言い添えています。まだ一回も送り返されてきませんが、椀に限らず、ぼくの作ったものをお持ちのかたで、修理の必要なときは、遠慮なさらずご相談ください。ぼくが元気で仕事をつづける限りは、無料で修理しますので。
2010年1月15日(金)
おにろく通信 66

 木の材料は、近くの製材所で買います。ですから、ぼくの作るものの大半は、木曽か、遠くても、岐阜あたりの木でできています。
 十年ほど前、人のつてで、松本市のギターの製作工場にいき、不要の材料をいただきました。ほとんどがクラシックギターの前板となるスプルースでしたが、級外品ばかりを持っていかせるのは気の毒だと、工場の責任者のかたが、ローズウッド、ゼブラウッド、レースウッドなどのアメリカや東南アジアの木の小さな切れ端を一、二枚づつ、持たせてくれました。その後、スプルースは自家用の箱などにほとんど使ってしまいましたが、他の木は手をつけず、工房の隅の壁に立てかけてありました。

 きょうの写真は、鉄刀木(たがやさん)の靴ベラです。大きさは、厚さ9ミリ、幅30ミリ、長さ90ミリ。いつものように切出し小刀で削り、サンドペーパーをかけ、仕上げに椿油を塗りました。色の違う一枚は、桂の木、形を確かめるため、試験に削りました。
 鉄刀木は、ギター工場からもらった木のひとつで、ぼくは初めて工作しましたが、堅い、目の粗い木で、数回削ったところで、小刀の刃がボロボロになりました。気持ちよく削るためには、もっと良い鋼の小刀を買わなければなりません。それでもなんとか形にして、油を塗ると、なかなか感じのいい靴ベラになりました。三コのうち一コは自家用にして、使い勝手を試すことにします。

 ぼくの住むあたりの漆器店へいき、黒色の摺漆の箸を取って材料の名前を聞くと、店の人はよく「それは鉄木(てつぼく)です」といいます。初めてそれを聞いたとき、妙な名前の木だなとおもいましたが、家で木材辞典で調べて、鉄刀木のことと知りました。
 去年、ぼくは天然の木曽桧で初めて箸を削り、商品にしましたが、ことしはこの鉄刀木で箸を作るつもりです。

2010年1月8日(金)
おにろく通信 65
 前回書きもらしましたが、おにろくの店は一月から冬眠中です。次に開けるのは、三月最終の週末の予定です。

 それから、昨年末にこの欄で書いた、息子の龍のサイトの件ですが、あのときは「トビカマス」にリンクを貼りましたが、そこからは、龍の曲を聴いてもらうのはややこしい操作があるので、きょうは、マイスペーストビカマスにリンクを貼りました。ぜひ一度おためしください。

 一月一日は仕事を休み、二日からボチボチ動きだしました。二日、三日、四日の夜は、写真のペーパーナイフとジャムスプーンを一本づつ削りました。長さは23センチほどです。小さな二枚の楓の板のうち、一枚をほとんど無駄なく使いました。写真にあるもう一枚の板より小さな板でした。
 仕上げはクルミ油で拭きました。漆で拭けばより美しく仕上がる木ですが、漆は時間と手間がかかり、どうしても高価なものになってしまうので、ことしはオイル仕上げのものを多く作っていこうとおもっています。
 小刀で削った楓の削り屑は、今までならストーブにくべていたのですが、今回は、妻の燻製に使ってもらうつもりで、袋に入れて保存しました。楓の木屑でおいしい燻製ができるかも、いつになったら十分な量がたまるかもわかりませんが、これも楽しみです。
2010年1月1日(金)
おにろく通信 64
 あけましておめでとうございます。元旦はぼくの誕生日なので、またひとつ、年をとりました。
 ことしも、元気で、がんばりましょう。

 大晦日、朝夕、一度づつ雪かきをしました。どちらも積雪5,6センチ、粉雪でした。予報では、夜、雪というので、今朝は早く起き、しっかり服を着こんで、雪かきを持って外に出ると、まったく降雪のない、清澄な朝でした。
 家にもどって、ストーブに火をつけて、炬燵のうえに、写真の手提げ袋を見つけました。
 去年10月中旬、ぼくは長年大事に使っていた手提げ袋と小さな信玄袋を紛失しました。ふたつとも妻がパッチワークで手作りしたもので、特に手提げ袋は重いものを入れたりするので、持ち手がグズグズに破れ、それを修理してもらいながら使い続けていた愛着の深いもので、気分的に相当落ちこみました。その後、妻が新しいものを、夜、少しづつ(妻はミシンを使わず、手縫いなのでなかなか進みません)作っているのは知っていましたが、大晦日の夜、ぼくが雪かきに備えて早く寝たあとも、元旦の朝に間に合わせようと遅くまで眠らず作っていたようなのです。

 きょう一日ぼくはなにもせずグズグズ過ごしました。人にもらった、美しい楓の小さな板が手もとにあって、それでペーパーナイフを作ろうと準備していて、あとは小刀を研ぎさえすれば取りかかれる状態なのですが、元旦だけは無為に過ごしたいという気持も一方にあって、食べたり眠ったりしていました。けれども、ぼくのような貧乏性にはそんな豪奢な生活は落ち着かないので、明日からはいつものようにせっせと働こうとおもいます。
2009年12月25日(金)
おにろく通信 63
 きょうの写真は、青空です。昼ご飯のあと、屋根にのぼって、北向きで撮りました。
 煙突掃除をするので、近頃はときどき屋根にのぼります。この家の屋根はトタンですが、こどものころよくのぼった家の屋根は柾葺きでした。「傷むからのぼるな」という父の目を盗んでのぼっては、あおむけに寝て日の光を浴びたり、ズルズル滑り落ちる感覚を楽しんだものです。

 息子の龍のことを少し書きます。
 二十年前、ぼくが木工を仕事にしようとおもって、千葉市から木曽へ引っ越してきたとき、龍は保育園の年長組でした。
 龍が小学校の一年生のときだったとおもいますが、近くの公園でふたりでサッカーボールを蹴っていて、急に雨が降り出し、家に帰る道で、龍がそれまでの話とは関係なく、急に、
 「詩ができた」といいました。
 ぼくはときどき詩を書いて、ノートに書きとめていましたから、興味深く、
 「どんな?」とききました。
 聞いて、とても気に入って、ぼくはその詩を龍にもらいました。つまり、その詩はぼくが書いた、ということにしてもらったのです。
     みんなしずかにだまっているが、あめだけが
     ぽつんぽつんとなっている
 というのが、その詩です。

 龍は高校を卒業して、公務員になりましたが、二年前にやめて、今は音楽活動をしています。「トビカマス」という名前の三人組のバンドで、龍はギター、ボーカル、作詞作曲を担当しています。週末には長野県周辺のライブハウスなどで歌っています。
 来年一月の中旬ころ、「NAKARA Shinsyu」という名前のオムニバスCD(14グループ、14曲)が発売される予定で、そのなかに龍の「海へいこう」という題名の曲もトビカマスの演奏で収録されています。
 あまり宣伝すると、身びいきになりそうなのでやめますが、龍が家で練習するのを何度も聞き、妻といっしょに一回だけいったライブハウスでも聴きましたが、良い歌だとおもいます。インターネットのホームページでも聴けますので、ぜひ聴いてみてください。
 きょうは最後にぼくの書いた詩ではなく、龍の作った歌のなかで、ぼくの一番好きな「孤独への旅人」の歌詞を書いて、終わりにします。

     頼りなく唸るエンジンに
     息を吹き込み今日も前へ
     地図は無くとも見つかる道
     足あと一つなく広がる平原
     何を目指す 何を越える
     砂埃上げて 見つけた先に
     美しいものがあるかなんて誰も教えちゃくれないのさ

     孤独への旅人 憧れる頃にはもういない
     孤独への旅人 憧れる頃にはもういない

     通じると思い込んでた
     言葉の見当たらない場所へ
     たどりついてこそ見つかるもの
     水平線溶かし出す太陽
     船を造り 明日へ向かう
     水しぶき上げて見つけたものが
     美しいものかなんてことは誰も教えちゃくれないのさ

     孤独への旅人 憧れる頃にはもういない
     孤独への旅人 憧れる頃にはもういない

 
 今年の「おにろく通信」は今回で終わりです。いつも読んでいただき、ありがとうございました。来年の第一回は元旦です。また、ご覧ください。元気で良い年をお迎えください。 
2009年12月18日(金)
おにろく通信 62
 自家用の燻製小屋を作りました。材料はサワラ、大きさは、縦横約50センチ、高さ約120センチです。
 きのうの午後、作りおえて左の写真を撮ったあと、すぐ庭に据えつけました。夕方、帰宅した妻が早速試運転で、ゆで卵とハタハタの干物、醤油で味つけしたコンニャクの燻製を作ってくれました。
 下の扉を開けて七輪を置き、豆炭を燃料にして、その上にすき焼き用の厚い鍋を乗せ、アルミ箔をしいて、桜のチップで燻しました。上の扉を開けると、三段の桟が打ちつけてあって、そこに金網が乗せられます。
 燻製小屋は妻のずっと前からの希望で、やっとそれが実現したのですが、なにしろ燻製はほとんど初めてのことで要領がわからず、冬の寒い夜の闇のなかで、妻とふたりで、ああでもないこうでもないと言いあいながら、右往左往しました。味はといえば、妻と息子は「おいしい」と食べていましたが、ぼくはやや不満でした。でもそれは、薪ストーブが徐々にうまく焚けるようになったのと同じように、経験が解決してくれるでしょう。
2009年12月11日(金)
おにろく通信 61
 きょうは雨でした。十二月に降るのは雨ではなく雪であってほしいと、北海道育ちのぼくはおもうのですが、このところの暖かさではとても無理なことです。

 息子の龍にたのまれて、音楽機材をいれるトランクに装飾として貼る薄板を作りました(厚さ4ミリ、幅7センチ、長さ50センチ。材料は、たも、玉杢の美しい板です)。
 龍は凝り性で、中古屋で古いトランクを探してきて、持ち手を色とりどりの糸で巻いたり、外側を白くペイントしたりしたのです。薄板は摺漆で仕上げることにふたりで相談して、きょう一回目の漆を終わり、仮に載せて具合を見ました(写真)。龍が「いいねえ」というので安心して、あと五回塗り重ねます。

 夏なら風呂場で漆を乾かせますが、冬は温度を安定的に保てないので、急ぎ、薄板を乾かすための長い木箱も作りました(写真奥)。ありあわせの板を手鋸でザクザクと切り、釘をドンドンと打ったので、隅の寸法がピッタリ合わず、それがばれないように写真を撮るのに苦労しました。
 明るい自然光のある昼は木工にあて、夜は漆を塗っています。食事のあと、薄板に漆を塗って、内側を湿らせた木箱に入れ、炬燵の中に押しこんで乾かします。
2009年12月4日(金)
おにろく通信 60
 写真は、作りかけの棚です。材料はヒノキで、高さ187センチ、幅78センチ、奥行25センチ。来週月曜日に終了の予定です。

 奈良井駅前の「おにろくの店」は、以前はおみやげもの屋さんで、棚は造りつけので十分で、ぼくが店を始めたときじぶんで用意したのは、障子を厚手の楮の和紙に張り替えたのと、妻が作ってくれた暖簾だけでした。それから二年半たって、すこしずつ商品がたまり、もう少し棚が欲しくなって、作ったのが、写真の棚です。
 この棚は、三コ組みの一つで、これからもう二つ作るつもりです。棚を置くのは、床から一段高くなった二畳の台の奥で、その前でぼくはいつも削りものをしたり、本を読んだりしています。棚が全部できあがり、商品の整理がつけば、店の中央が片づくので、そこに、お客さんが座れる、低くて大きな台を置くつもりで、その材料ももう用意してあるのです。
2009年11月27日(金)
おにろく通信 59
 去年、おととし、冬は店を閉めました。
 ことしはどうしようかと、このところ考えつづけていましたが、息子と妻が店番をしてくれるというので、とりあえず、十二月は開けようとおもっています。木曽にお越しのときは、お寄りください。

 冬、ぼくは、工房に籠って、木工旋盤の練習をするつもりです。夏の間、機械は使われず、埃をかぶっていましたから、まずはそれを払い、油を差して、試運転をしなければいけません。小さい椀や鉢も挽きますが、今回は直径30センチ位の大きさのものを多く挽くつもりです。それがうまく挽けるようになり、もっと大きなものを作りたくなったら、新たに大きな機械を買えたらいいなあと、おもっています。二、三年後になるかもしれませんが・・・。

 きょうの写真は、最近作った、スカーフリングと長い髪の女性用の棒状のかんざしです。どちらも店番をしながら、小刀で削りました。
2009年11月20日(金)
おにろく通信 58

 焚きだしてみると、思っていたより早く薪は少なくなり、このままだと、一番寒い二月上旬には無くなってしまうようです。そこで、きょうは林道をとおって、大きなアカシアの倒木を見にいきました。奈良井川の支流のひとつで、写真のように、岸から岸へ倒れかかっています。
 一年中薪ストーブを焚いている近所の人が、この木のことをぼくに教えてくれたのです。確かに向こう岸の根元は大人が抱えきれないほどの太さで、全部を薪にすれば数ヵ月は焚きつづけられるかもしれませんが、切るのは大変です。きょうのところは、安全に切れる太い枝を数本だけ家に持って帰り、早く乾くように細く割って積みました。
 山の中には切られたままの木がそのままたくさん転がしてあります。もうすでに青い苔が生え、なかば朽ちているものもあり、そこに立っていると、殺伐とした感じがします。夏になると、川の水量は減り、歩いて渡れるようになるそうです。来年はこのアカシアを切り、周辺もすこしきれいにします。

2009年11月13日(金)
おにろく通信 57
 「どうぶつのキーホルダー」は木工を始めてからずっと作りつづけています。いろいろな動物を形として考えるのですが、うまくいかず、まだ十種類ほどしかないのですが、頭のなかでは、たくさんの動物たちが未完成のまま形を変えながら動きまわっています。
 「どうぶつのキーホルダー」はボール盤で目の穴をあけ、糸ノコ盤で切りとる単純なしごとです。色を塗ったり、立体にすればもっと多くの種類を作ることができるかもしれませんが、それ以上ないほど単純な形で平面的にその動物をあらわすことをじぶんじしんの課題としているので、そうするとなかなかむづかしいのです。

 最近、「ねこのキーホルダー」の新しい形をつくりました。写真中央でむかいあっている二匹のねこがそれです。実はこれは目を焼きペンで描いているのです。はじめは糸ノコで切ってみたのですが、どうしてもうまくいかず、結局、焼きペンに逃げました。じぶんでは不満なのですが、商品として店に置いてみると、喜んで買ってくださる人もいて、なんだか嘘をついて売っているような気持がして複雑です。
2009年11月6日(金)
おにろく通信 56

 4日前の夜、バラバラと雹が屋根をたたき、その大きな音に驚かされました。翌朝、家の二階の窓から見た風景がきょうの写真です。大きな建物は道を一本隔てたところにある診療j所です。その屋根、手前の松の木の頭には雹が積もっていますが、昼はよく晴れて、たちまち消えました。ことしの紅葉は遅く、いつもならそれから少しの間のある、落葉松の黄葉がすぐつづきました。それももう風に飛ばされて、数日後には鋭い円錐形の裸木になるでしょう。

 きのうの朝は家の外の掃除をしました。風がすこしあったので、用心して大きな缶のなかで集めた枯葉を燃やしました。
 以前ぼくが読んだ本のなかで(それは個人の句集ではなく、たくさんの人たちの俳句を寄せ集めたものでしたが)、ひとつだけ印象に残ったものがあり、季節にかかわらず、たびたび思いだして、くちずさみ、あらためて感心する句があって、それを書いて、きょうは終わりにします。
     大人きて焚火大きくなりにけり

2009年10月30日(金)
おにろく通信 55
 漆のことをまた少し書きます。

 日本の漆は高価なので、ふつう中国の漆が使われていますが、ぼくは日本の漆を使っています。日本の漆は中国や東南アジアの漆より成分的に優れているそうですが、ぼくが日本の漆を使う一番の理由は、においが良く作業が楽しい、ということです。
 ぼくは大量に生産するわけでもなく、大きなものを塗るわけでもないので、たくさんの漆を消費しません。一年に数回、近所の材料店に自転車ででかけ、100グラムチューブ入りの漆を一本注文し、数日後またでかけると、問屋さんから取り寄せておいてくれます。
 漆は何度もくりかえし塗り重ね完成させていく塗料ですが、多くの量を使うのは、一回目の塗りです。特に栗や欅などの木目の粗い木は桜や朴などの滑らかな木と比べると、砂が水を吸いこむような勢いで漆を吸いこみます。このときはすぐにチューブがちいさくなっていくので心細くなりますが、二回目以降は徐々に吸いこみが少なくなり、安心します。

 そんなわけで、その日塗るものを見て、磁器の皿に適量の漆をチューブからしぼりだすのですが、それがいつもうまくはいかず、わずかに残ることがあります。もったいないので、それを目の前の壁に塗りつけた集積が、きょうの写真(一部)です。この絵はこれからもすこしづつ発展しますが、ここは借家なので、出る時にはペンキを塗ってもとどおりにしなければなりません。
2009年10月23日(金)
おにろく通信54 
 そこから先は家までずっと下り坂なのですが、店から30メートルくらいは急な上り坂です。おととしの夏の盛り、自転車であえぎあえぎその坂をのぼって、
     自転車こぎ夏空へのぼってく
と一行詩を書きました。
 おとといの夕方、坂の上で見た空は、思わず自転車をとめ見とれるほどきれいな鰯雲でした。空気は澄んで、木や草の葉の枯れるにおいがゆるやかに漂っています。このところの寒さで紅葉もすすみました。
     枝はなれ空にこぎだす朴の船

 朝夕、薪ストーブを焚いています。薪のおだやかなあたたかさを喜ぶのは、ぼくたち人間だけではなく、凛も同じです。
 写真を見てください。赤く燃えるストーブの前に凛が横たわっています。静かな寝息が聞こえますか?凛は一日のほとんどの時間を眠って過ごすようになりました。
2009年10月16日(金)
おにろく通信 53

 雪虫を見ました。
 凛と夕方の散歩にでたとき、水松の木の下、ぼくの胸の高さで、数匹、ゆっくり漂っていました。十分に肥えてはいず、色もくっきりと白くはなく、そのまま空気に溶けこみそうな気配でしたが・・・。
     雪虫よむかしむかしを聞かせてよ
 雪虫を見ると、ぼくはなぜかかならず北海道のこどものころを思いだします。

 11日(日曜日)の夜、「夜の森クラフトマーケット」に出店しました。本当なら、きょうの写真はそのときの写真のはずでしたが、カメラを忘れ、凛の写真になりました。
 当日は好天で、思ったほど寒くはならず、妻といっしょに楽しい時間を過ごしました。こまごまと世話をしていただいた、「きんぴら工房」のご家族、スタッフのみなさん、ありがとうございました。来年も参加させていただくつもりですので、よろしくお願いします。
 凛は人に馴れないので、いっしょに遊びに連れていくことができません。当日は10時ころまでひとりで留守番をしました。帰って戸を開けると、玄関の床の隅に凛の吐瀉物がありました。以前から、長い時間ひとりきりでほっておいたりすると、凛はたいてい吐くのです。
 翌日は休日で、ぼくたちは一日家にいたのですが、なにかの用で立ちあがると、またひとりきりにさせられるのかと、いつもついて歩いて、うるさがられました。ぼくたちが出かけないとわかると、やがていびきをかいて眠ってしまいましたが・・・。

2009年10月9日(金)
おにろく通信 52

 すこし太目の赤味がかった籐で、妻が花かごを編んでくれました。それを店の前に置いて、今はススキと荒地野菊などの野花をほおりこんであります。
 台風通過のあとで、きょうはよく晴れました。風がやや強く、暖簾がはためき、バタバタとガラス戸を叩きました。夕方になると、風はしだいに冷たくなり、家に帰る坂道を自転車でゆっくり降りながら遠くの山々を見まわすと、針葉樹の緑のなかに赤や黄が混じっています。つい最近まで散歩の途中にその実を摘んで口にいれていた家の前の山法師の紅葉もすすんでいます。

 「おにろく通信49」でお知らせした、「夜の森クラフトマーケット」は明後日です。当日は店を三時に閉め、急いで会場に行きます。ランタンや虫除けローソクなどの用意はもうすみました。あとはセーターや毛布を忘れないでもっていきます。
 主催の「きんぴら工房」さんは50人分のカレースープを無料提供してくれるそうです。パンもおいしいです。お近くのかたはぜひ足をお運びください。

2009年10月2日(金)
おにろく通信 51
 二十数年前、小さな椅子をひとつ作りました。そのころぼくは千葉市に住む会社員で、日曜大工で作ったのです。
 東京木場の材料店で松材を買い、アパートの近くのホームセンターでカンナ、ノミなどの道具を買って、何ヶ月かかかりました。機械はなにもなくて、すべてを初めて使う手道具だけで作った、おおげさな表現ですが、ぼくの記念碑的な作品なのです。できあがったとき、嬉しくて、小学生と幼稚園児だった娘と息子に座らせて記念写真を撮りました。

 今もその椅子はぼくの工房にあります(写真)。もちろん座るのにも使いますが、多くはノコ切り台として使っています。松はヤニの多い木なので、時間がたつと美しい飴色になるのですが、ぼくの椅子は埃やノコ屑が積もり、そのうえ、ノコで板や角材を挽く時に間違えてその下の椅子まで挽いたこともあって、汚れとたくさんの傷で、もう百年も生きつづけてきたような表情になっています。
2009年9月25日(金)
おにろく通信 50
 家から店に行く途中、奈良井川の川原に一本の若い鬼胡桃の木があります。先日、その実を百個拾いました。
 今、実は口をしばったビニール袋に入れられ、庭の水松の木の枝にぶらさがっています。太陽の熱で外皮が腐ったら、それを取り去り、流水で洗って乾かし、十分に乾いたら、箱に入れて終了です。

 十数年前、王滝村に住んでいたある年、栗鼠と競いあって、胡桃の実を拾い集めるのに狂奔したことがありました。個数としてどれくらいあったのか、かぞえてみませんでしたが、小さなダンボール一杯分あったその胡桃の実を今も木工品の塗装に使いつづけています。

 この欄で何度か書きましたが、漆いがいで作品を仕上げるときは、その時の気分で、椿油、オリーブ油、菜種油などを使いますが、このところ、胡桃油で仕上げることが多くなりました。光沢の感じが、気持にしっくり合う感じがします。
 硬い殻を金槌で割って、実を小さく砕き、それをガーゼに包んで、擦りつける。すこし手間のかかる作業になりますが、むしろそれが楽しい。ガーゼに包むほかに、1,2個多く割って、口に入れ、ポリポリかみ砕くと、胡桃の油がゆっくり体に沁みこむようです。
2009年9月18日(金)
おにろく通信 49
 朝夕、肌寒くなりました。
 こんな早い時期にいいのかなあ、とおもいながら、すでに二、三度、朝30分ほどですが、薪ストーブを焚きました。
 春から初夏にかけ、せっせと山から落葉松や桧の丸太を運び、せっせと割りました。写真がその成果、高さ150センチ、はば5メートル、奥行き前後2列90センチの薪の山です。この量で、この冬ずっと薪ストーブを焚けるかどうかまったく見当がつきません。
 こどものころ、北海道の家も薪ストーブで、父は煙突を掃除するたびに、室内の煙突の直立したところに白いチョークで日付を書いていたのを思い出します。父は小柄な人でしたが、×月×日済と書く字がとても立派で、ぼくの目に焼きついています。

 ひさしぶりに、クラフトフェアに参加します。場所は、家から車で20分ほど走ったところにある「きんぴら工房」というパン屋さんの裏山です。出店は10店ほどの小さなクラフトフェアで、「きんぴら工房」のご主人によると、じぶんでスコップで整地しないとテントが張れない所、とのことで、楽しみにしています。ろうそくと虫よけの準備もしなければなりません。
         夜の森クラフトマーケット
     日時 10月11日 (日曜日) 4時から8時
     場所 塩尻市宗賀 平出博物館となり

      秋の枯葉の落ちる夜の森でランタンや小さな明かりを灯してのイベントです。参加者一人ひとりが先ずは楽しめて、来てくれた人達も楽しめるイベントにしたいと思っています。(きんぴら工房のチラシよりー一部略ー)
2009年9月11日(金)
おにろく通信 48
 大きな「カタコト」が店のなかに置いてあります(写真)。
 商品の小さな「カタコト」は、板の長さが約30センチ、丸棒は2列で14コですが、大きな「カタコト」は120センチの長さで、丸棒は4列126コです。
 大きな「カタコト」は数年前に作りました。その後、展示用にあちこち持ち歩いたり、戸外で多くの人が遊んだりしたので、日焼けして、汚れもひどく、傷もついています。それでも大きな「カタコト」を欲しがるお客さんもたまにはいらっしゃるので、今、商品の「カタコト」よりすこし大きな「カタコト」を作っています。板の長さは38センチ、棒は4列36コです。

 人形の降りる速さは、手の先から反対側のわきの下までの距離で決まります。小さな「カタコト」には男の子と女の子の人形がそれぞれ1コずつついていますが、大きな「カタコト」には、もう一種類、ゆっくり降りる人形があります。ぼくはこの人形が好きで、じぶんで「ゆっくり君」と名前をつけています。この前遊んでいたこどもたちは、お互いに「おばけ」と呼んでいました。坊主頭で舌を出している顔からの連想でしょうが、おもしろくて笑いました。
 今度のすこし大きな「カタコト」には、おばけもつけるつもりです。
2009年9月4日(金)
おにろく通信 47
 このところ、腰痛でした。

 腰痛は20年前にさかのぼります。
 木曽郡上松(あげまつ)町の職業訓練校で一年間木工の勉強をしました。卒業後、訓練校は新築されましたが、ぼくのときの校舎はとても夏向きな作りでした。
 冬、訓練がすすみ、ロッキングチェア製作を希望した4,5人のグループは小さな灯油ストーブを囲んで毎日苦闘していました。ガラス戸一枚の向こうは雪景色で、広いグラウンドのむこうの遠景は木曽駒ケ岳の雄大な白い山並みでした。
 昔話を始めるときりがありませんが、はしょって書けば、腰痛はそれ以来の持ちこしです。卒業前の作業の大詰めでは、腰痛のため完全に寝たきりになってしまい、動けるようになったときは、すぐ卒業式でした。

 痛みをだましだまし、休まずしごとをつづけ、ようやく快方にむかってきました。次の痛みが出るまで、またがんばりましょう。
2009年8月28日(金)
おにろく通信 46

 おととい1コ、きのう1コ、「くるま」を作りました。
 「くるま」はなにかを作った残りの木で作ります。ですから、大きさも形もまちまちです。大きな木から一度に何個も作ることはありません。

 先日、お客さんに「このくるまはデパートにあったわねえ」といわれました。ぼくの商品はぼくの店でしか売っていないので、それはぼくの作ったものではありません。多分、だれが作っても、くるまといえばこんな形になる、ということなのだとおもいます。
 「くるま」は小さなこどもが楽しく安全に遊ぶのが一番大切なことですが、使われず棚の片隅にポツンと置かれているときにも美しい、というのもぼくにとっては大切なことです。そのために「くるま」本体の木目だけではなく、前後の車輪の木目も連なるように気を配るなど工夫をしています。
 こんな生意気なことをいっても、いつも満足のいくものができるわけではありません。むしろ、失敗しつづけている、といったほうが正確なのだとおもいます。 

2009年8月21日(金)
おにろく通信 45

 ぼくの店は小さな店で、たいていのお客さんは入って数秒後には出ていかれます。
 ときどき隅までゆっくりごらんになって、いろいろお話をなさるかたもいらっしゃり、楽しい時間を過ごすこともあります。店には自作のもので装飾のために置いてある、値札のないものが何点かあり、それを欲しがるかたもいらっしゃて、そんな時は金額を相談して買っていただきます。
 売ってしまってそれが手許からなくなって寂しくなり、後悔することもあります。ぼくは他の人よりじぶんの作ったものに執着する気持が強いのかもしれません。

 写真は木工旋盤を使い始めてまもなく作った栃の椀。平凡な椀ですが、これも売る気になれません。
     からのうつわに
     ひかりあふれ
     たわむれにのみほせば
     おちていく
     かすかな
     おもみ
 背後の色紙には毛筆でそう書きました。

2009年8月14日(金)
おにろく通信 44

 「カタコト」は、ぼくの作った木のおもちゃのなかで、一番人気のあるおもちゃです。

 「カタコト」は、ぼくのオリジナルではなく、もともと古いヨーロッパのおもちゃで、図書館で古今東西のおもちゃの本を調べていて見つけたのです。その本には一枚の写真と簡単な説明だけで、サイズ、材料などの詳しいことは書かれていず、じぶんで試作をくりかえして、作品にしました。それが20年前のことです。
 「カタコト」という名前もそのときぼくがつけた名前で、「カタカタ人形」というのがもとの名前だったと記憶しています。

 「カタコト」はその仕掛けと人形の動きのおもしろさが第一の魅力ですが、ぼくは木の音の美しさを強調したいとおもって、いろいろな木で試作してみて、今は、背板はカツラ、人形はホオと決めています。柔らかいやさしい音がします。台の木はブナやナラやそのとき手もとにある、堅く重い木を使います。

 しだいに視力が弱くなり、昔は何気なくできていた棒の位置決めなどが辛い作業になっていますが、店でこどもたちの笑い顔をみると、まだ作りつづけなければならないなあ、とおもいます。

2009年8月7日(金)
おにろく通信 43

 家の式台の高さは21センチです。凛は小さな犬で直接あがることができないので、半分の高さの踏み台を置いてありました。
 凛の後肢の麻痺が進み、その踏み台もあがれなくなったので、先日、三段の踏み台に作り替えました。これで、一段の高さは7センチになりました。踏み板にはコルクを貼り、滑りどめにしました。ふつうならすぐに元どおり家へあがれるはずですが、凛は習慣化するのにとても時間のかかる犬で、なかなかあがろうとせず、新しい踏み台をジッと見つめたり、においをかいだりしているだけでした。さすがに数日たった今では自力であがるようになりましたが、それでもときどきはあがることができず、悲鳴をあげて助けを求めます。
 先日、凛はぼくの膝にもたれかかり、子犬のように四本の足を空へあげてあおむけに眠ったことがありました。
 凛のなかでなにかが急速に衰えていくようです。

2009年7月31日(金)
おにろく通信 42

 

 朝、空を見て、
 この雲を除けたらあるか夏の空
 と思っていると、午前、雲が割れてひさしぶりに青空が見え、暑い一日になりました。
 それはきのうのことで、きょうは夕方からまた雨です。

 すこし前のことですが、父の日に娘が傘を買ってくれました。ベージュ色の大ぶりの傘で、裾に一周青海波の文様があります。最初に使うのは、風の無い、ある程度雨量のある、いわば傘日和の日にしようと、ちょっとの雨では濡れても使わず、数日前やっと一回使いました。

 家と店の往復は晴れの日は自転車、雨なら徒歩と決めています。小さなリュックを背負うので、この大きな傘なら体もリュックも濡れず、楽しく歩けます。ただ、どこかに外出して紛失したらとても悔やむだろうなあと、そんな心配をしています。

2009年7月24日(金)
おにろく通信 41
 ここひと月ほど集中的に天然の木曽桧を使っておみやげものを作りました。10数種類の計画があり、試作したのが8種類、商品化したのが5種類でした。きょう、店の真中の小さなテーブルにそれを並べました。
 写真右手前から時計回りに、①ひっぱりスイッチの玉 ②すり漆の箸 ③箸袋(桧の小さな玉がしばり紐の先についています) ④白木の取りわけ箸 ⑤桧のたまご。
 ひっぱりスイッチの籠、布製の箸袋、箸袋の立ててある籠、桧のたまごの籠は妻が籐や和布を買って作ってくれました。
 このなかで、ひっぱりスイッチの玉は今月初旬から店頭に並べてあり、ぼくのものとしては好評です。
 ずっと桧ばかり削っていたので、工房は桧の香りが溢れています。カンナ屑は布袋につめて、毎晩風呂に浮かべています。においはそれほど強くはないのですが、桧の油分が溶けだすのか、しっとり気持のよい湯になります。
2009年7月17日(金)
おにろく通信 40

 長野県の梅雨は十四日(火曜日)に明けたそうです。でも、きのうもきょうもときどき雨、あすもときどき雨の予報です。

 湿度の高いのは力が少しづつ奪われる感じでいやなものですが、漆を塗るには好都合なのです。ふつうの塗料はそのなかの水分がなくなって乾燥するのですが、漆は漆のなかのある成分が酸素と結合することで乾燥するのだそうです。ですから漆は湿度が高くなければ乾燥しません。漆を乾燥させるためには、温度摂氏25度~30度、湿度75~80パーセントの環境を作らなければなりません。梅雨の時期は自然にその環境が整っているわけです。
 専門に漆を塗る人は備えつけの大きな戸棚を持っています。ぼくは大きなものも、一度に大量のものも塗りませんから、自分で作った小さな板の箱のなかで乾かします。そのなかを雑巾で濡らしたり、寒いときは炬燵にいれたり、加減をしながら、さきほど書いた環境をつくっています。

 写真手前は数日前に作った木玉のブレスレットです。材は楢、大きさは直径12ミリ、それを16個、赤い2個の玉は桂、直径10ミリに赤漆を塗っています。ぼくじしんはアクセサリー類はしないのですが、これは自分で使って、どんなふうに変化するかを見ています。写真奥は、漆塗りの途中の桂の玉、まだ赤漆は塗っていません。

2009年7月10日(金)
おにろく通信 39

 写真右は陶製の玉のペンダントです。駒ヶ根市で焼きものをしているかたからいただいたものです。左はそれを真似てぼくが作った木球のペンダント。左から、セン、サクラ、アンズ、ナラ、ケヤキの五種類の木。小刀で削って、サンドペーパーで仕上げ、椿油を塗りました。球はまんまるではなく、いびつです。
 陶製の玉は重く、長い時間さげていると肩が凝るのが欠点ですが、色合い、模様、表現の複雑さは断然、木をしのぎます。木は軽いのですが、存在感そのものもひっそりしていて、それがもの足りないところです。もっとも、どちらにも興味がない、といわれればそれまでの話です。

 きょうは未明から風も雨も強く、昼の天気予報では、夕方にかけて大荒れとのことで、店は開けませんでした。ところが一時半ころ風雨はピタッとおさまり、それからはとこどき日が差すような良い天気になりました。明日、明後日は晴れといっていますが、当たるでしょうか。

2009年7月3日(金)
おにろく通信 38
 玄関の前のあじさいの花が咲きました。先週の「おにろく通信」で、「まだ蕾」と書いたのをどこかで知ったみたいに、あっという間に咲きました。
 ぼくの家のそばの診療所や店の前の奈良井駅の軒下にはつばめが巣をつくり、毎年この時期は歩いていると危ないくらいに頭の近くを飛びまわるのに、今年はあまり姿を見ません。とここに書けば、あじさいの花のようにつばめもきてくれると嬉しいのですが・・・。
     つばめ正面からぼくの脳天にはいる

 先週の「おにろく通信」に書いた「ひっぱりスイッチの玉」は商品として数日前から店に置いてあります。その後も木曽桧のおみやげ物の試作をつづけていますが、いい物はなかなかできません。ソープディッシュもカード立ても納得するものができず、試作品が机の上に置いてあります。手に入れやすい値段で、かさばらず、ちょっと意表をつく楽しい物・・・なにかありませんか?
2009年6月26日(金)
おにろく通信 37

 梅雨の中休みなのか、三日前からよく晴れて、予報では来週月曜日まで雨は降らないとのことです。
 玄関前のあじさいの葉の緑がきれいです。花はまだ小さな蕾で、かたつむりの姿もまだ見ませんが、このあじさいの微妙な色合いの青い花もかたつむりも楽しみに待っています。
     あじさいのしずくのようなかたつむり

 木曽桧を使って、なにか、手に入れやすい値段で、すこししゃれたおみやげ物をとおもって、写真のプルノブを作りました。蛍光灯を点けたり消したりするときに引っ張る紐の先についている、あのつまみです。大きさは直径24ミリほど、紐は既製品で、何色かあります。
 木曽桧は年輪の間隔がよく詰まり、粘りがあり、独特の香りも強く、美しい木材です。せっかく木曽桧を使うので、植林された桧ではなく、天然の桧を少量買いました。プルノブのほかにもいろいろ、おにろく工房らしいものを作りたいとおもって、思案中です。

2009年6月19日(金)
おにろく通信 36

 ここのとこ天候不順でしたが、きょうはよく晴れて、昼近く、凛といっしょに外に出て、写真を撮りました。

 十二歳の誕生日を過ぎて、急坂をくだるみたいに、凛の後肢は不自由になりました。庭のかたすみに妻が雑草をむしって積みあげてあり、凛はよくそこにのぼっておしっこをするのですが、先日は最中にコロンと転がり落ちてしまいました。凛じしんは何事もなかったように立ちあがり、足をひきずりながら歩きだしましたが、ぼくはすこし胸を衝かれるものがありました。
 凛の一年がぼくの数年分だというのは簡単な事実ですが、実際にはなかなか納得しにくいことです。大人のぼくがまだ乳臭い凛を抱きあげたときから十数年たって、ぼくじしんももちろん年をとりましたが、凛はあきらかに最後の数年を迎えている事実はぼくの理解を越えます。

 凛をもらったとき、ぼくは「りん」という詩を書きました。1997年の詩です。

     こぐらい森のかたすみで
     あかちゃんいぬをゆずられた
     「秋田の犬とチベットの犬のミックスです」
     がいこくじんの男は日本のことばでそういった

     あきたの犬はそれとして
     チベットの犬ってなんなのか
     じてんでひいてもわからなかった

     「夜より黒い犬だねえ」 ある人は感心し
     「くまにまちがわれてうたれなきゃいいけど」と心配した
     「そりゃおおきくなるよ」 したり顔でいう人もいたし
     「ぶさいくねえ」と正直にいう人もいて

     ともかく
     こぐらい森のかたすみで
     人から人へわたされた〈りん〉という名のざっしゅの犬は
     しずかに
     まるく
     ねむっている
 

2009年6月12日(金)
おにろく通信 35

 もう何年も前から、朝はパンです。
 ちょっと前にパン皿を落として、端が欠けました。さいわい、ふたつのカケラはすぐ見つかって、今、修理中です。
 写真左の黒いのがその皿です。写真ではよくわからないのですが、黒の地にところどころ赤い文様があります。
 漆塗りのなかに、根来塗(ねごろぬり)というのがあります。漆は何度も塗り重ねるものですが、下に黒漆を塗り、仕上げに赤漆をぬると、何年も使用するうち、赤漆が剥がれ、下の黒漆がところどころあらわれ、趣きのある景色になります。初めからこの効果を狙って、製作中に研いで塗りをはがす塗り方が考えられ、研出し根来(とぎだしねごろ)と名づけられています。もちろん一種の邪道ですが、勉強のために、ぼくも自家用に作ってみたのです。
 修理はカケラを糊漆(のりうるし=米粉を湯で練り、漆と混ぜ合わせたもの)で接着し、その上に寒冷紗をかけて、赤漆を塗りました。このあと仕上げに二回漆を塗ります。
 写真右は修理の間使っているパン皿です。材料は胡桃(くるみ)、大きさは直径六寸です。木工旋盤で挽き、仕上げにくるみ油を塗りました。市販のくるみ油は乾燥を速めるためなどに化学的な薬品をいれてあるので、食器には使えません。じぶんで採取した鬼胡桃の実を潰してガーゼで包み、それを塗りました。
水洗いをしても、すぐふきんで拭きあげて自然に乾かすと、艶は失われず、汚れません。試作品ですが、そのうち商品化するつもりです。

2009年6月4日(木)
おにろく通信 34

 写真は朴葉巻です。
 朴葉巻は朴の葉で包んだ餅で、木曽の初夏のお菓子です。五月の節句に関東は柏餅ですが、一ヶ月遅れで祝う木曽では、朴葉巻がそれといえばよくわかるかもしれません。
 散歩していて山の朴の葉が大きくなっていくのを見ると、そろそろ朴葉巻が食べられるな、とぼくは嬉しくなります。朴葉巻は餅の味もおいしいのですが、何より朴の葉を開いたときの、青い甘いさわやかな香りが命で、そのにおいをかげば、ぼくは餅を食べなくてもいいくらいなのです。
 写真の朴葉巻は一枝で六個包んでありますが、枝によって、三個のがあったり四個のがあったりして、それを選ぶのも楽しい。餡も、店によってこし餡だったり小倉だったりして、味の違いを比べるのも楽しい。朴葉巻はこれからもずっと守っていってほしい木曽の郷土食です。
     木曽の夏やほのかにかおる朴葉もち

2009年5月29日(金)
おにろく通信 33
 「どうぶつのキーホルダー」は、売れて数が少なくなると、5、6コずつまとめて作ります。
 きのう、きょう、雨だったので、山しごとや庭いじりをせず、「キーホルダー」作りに専念しました。数えてみると、59コありました。ぼくとしては、ずいぶんな大量生産で、疲れました。
 今回作ったのは、ねこ、わに、ふくろう、いるか、くじら、うさぎ、いぬの7種類。木は、ほお、ぶな、なら、かば、けやきの5種類。
 写真は、糸ノコで切り、サンドペーパーで角をまるめたところ。これから、電気ペンで「キーホルダー」の側面に木の名前を書き、金具を取りつければ終了です。
 左に見えるのは、糸ノコ盤です。マキタSJ350.ぼくが木工を始めて間もなく、十七、八年前に購入してから、一度の故障もなく、酷使に耐えつづけています。この機械を作られた方々に深く深く感謝。
2009年5月22日(金)
おにろく通信 32

 いつも用途の明確なものを作っていて、なにかそんなものでなく、なにがなんだかわからないものを作りたくなって、写真のものを作りました。栗の端材の割れかかったところを、鋸で切りとり、鉈で叩き、小刀と丸ノミで削ったものです。 
 店番をしながら、畳に胡坐をかいて、なにも考えず、コチコチと削りました。川原の石のようなものになりました。
 五コのうち黒いのは、ガスの火で焼いて、そのあとで漆を塗りました。机の隅に置いて、ときどき、手で包んで温めたりしています。
 数年前、「ぼくせき(木石)」という詩を書きました。それを以下に書いて、きょうはおわりにします。

     はなすこともなく
     もくねん
     そとをみていると
     このまま ぼくは
     きやいしになりたいとおもう
     りかいすることもなく
     りかいされることもない
     あらそうことなく
     ひとのくちにのぼることもない
     ささやかな
     なりのわるい
     きやいしになりたい

2009年5月15日(金)
おにろく通信 31

 写真は、「おにろく通信23」に載せた「欅9寸盆」です。あの時は、一回目の漆で、テレピンで薄めた漆を木地に吸いこませただけの状態でしたが、その後、内側に弁柄漆、外側に松煙漆を摺りこんで仕上げました。堅苦しい言い方でいえば、「欅黒内朱すり漆九寸盆」です。

 残念ながら、この盆は失敗作です。大きな木工旋盤を買って、すぐ作ったせいで、その機械をしっかり理解できず、その時は失敗と気づかなかったのです。漆を塗ってみて初めて、表面に小さな凹凸が残っているのを知りました。商品にはならないので、自家用で使おうとおもいます。酢飯をこのなかで混ぜるのもいいでしょうし、ぼくの好物の素麺をおよがせるのもいいかもしれません。木曽の初夏の名物の朴葉巻をのせるのも絵になります。

2009年5月8日(金)
おにろく通信 30
 電話はかけるのもかけられるのも苦手ですが、万一のためにと、ケータイを持たされています。先日、それをらくらくホンというものに替えました。
 いまそのらくらくホンにストラップをつけ、首からさげて歩いています。機能のなかに歩数計があり、毎日の歩数やカロリーの消費量やそのほかいろいろな項目を見て、楽しんでいます。

 家と奈良井の店の間を歩いて往復する日は、歩数計は一万歩を越えます。行きの道はずっと登り坂なので、息が切れないようゆっくり歩いていきます。足もとの奈良井川の水の流れや遠くの緑の山なみを見て歩いていると、頭のなかにしぜんに言葉が浮かんできて、その言葉の順序を入れ替えたり、言葉を消したり産んだりしながらトボトボ行くと、とても良い気持です。
        喘げば崩れ落ちる山吹の花
2009年5月1日(金)
おにろく通信 29
 王滝(おうたき)村は木曽のなかでも西の辺境にあり、そのまた奥の滝越(たきごし)という地区に友人が一人います。数年前、その友人が一位(いちい)の直径5寸、長さ1メートルほどの丸太を一本かついできて、ぼくにくれました。
 一位はまた水松(おんこ)ともいい、ぼくにはなじみの深い木です。死んだ父は桶屋で、主に水松を使っていたからです。小さいころは、父のしごとを飽きることなく見ていた記憶があります。水松は針葉樹ですが、比較的重く、桧のように、組織のしっかりした木です。
 ぼくは早速、一輪挿しを二本作りました。小刀の削り跡を残し、一本は黒漆、もう一本は赤漆で仕上げました。写真のが黒漆のもので、赤漆のはその友人にあげました。(黄色い花は山吹、椅子は自作の子供用スツール、材料はトネリコです。一輪挿しはいつも店の正面の棚に飾ってありますが、きょうは外に出して撮りました)。
 その水松の丸太は未乾燥で、その後、ぼくの黒い一輪挿しは縦にパカリと割れました。ガラスの細長い管がはめこんであるので、水は洩れず、役目は十分果たしています。平凡なつくりなので、かえって風景が良くなったかもしれません)。
 さてある時、件の友人に赤い一輪挿しの消息を聞いたところ、花を切って飾るのは性に合わないので使っていないといわれ、苦笑してしまいました。使われず埃をかぶって家の隅にポツンところがしてあるとおもうと、寂しい気持がします。

 ぼくの家の庭にも水松の木があり、夏、その赤い実を食べるのが好きです。口に含んでひとなめして、種を遠くへプッと吐きだすのは楽しい感覚です。
      歩いてきて水松の実のほの甘さ
2009年4月24日(金)
おにろく通信 28

 毎朝6時に起きるのですが、三日前の朝方、屋根を歩く猫のポトポトという足音に目をさまされて、そのあとウトウトと寝坊をしてしまいました。そろそろ、恋猫の季節です。
 落葉松が薄緑の芽を吹きはじめました。柳の緑も淡く美しい。根こそぎに倒れ、死んでしまった柳の木の幹から、幼い枝が直立して芽吹く姿には驚かされます。
      死と見えた柳青める春はふしぎ

 山仕事で落葉松を玉切りするついでに、榾を拾ってきて、薪ストーブを焚いています。朝方や雨の日はまだ肌寒いので、薪ストーブの火はありがたい。榾はすぐ燃えつきてしまうので、休みなく継ぎ足さなければなりませんが、これくらいは我慢できること。

 左の空欄に落葉松の芽吹きの写真を載せるつもりでしたが、撮り忘れました。明日か明後日か、載せます。

2009年4月17日(金)
おにろく通信 27

 ぼくの家の裏には、細い道を一本はさんで保育園があります。その園庭の八本の桜が、三日ほど前に咲きました。きょうは昨夜来の雨で肌寒い一日でしたが、おとといの昼は暖かく、鶯の鳴き声を聞きました。

 先週の土曜、日曜は山仕事をしました。すでに切り倒され、山に放置されたままの落葉松を冬の薪用に小さく切って運びだす仕事です。といっても、ぼくはそんなことはまったくの素人で、土曜日は急な斜面に大量に倒されいる落葉松をさあどうやっておろそうかと思案しながら見てまわり、湧水を見つけて喉をうるおしたり、かもしかの糞を見つけて棒でかきまぜたりしただけで終わり、日曜日には説明書を読みながら初めてチェンソーを始動させ、おっかなびっくりそれでもどうにか一本分の落葉松を切って家へ持ち帰りました。
 月曜日ころから動くたびにあちこちの筋肉が痛み、辛い日々を過ごしていますが、ずっと工房でこまかいしごとをしていたので、山仕事は気分を爽快にしてくれました。これからは晴れた週末には山へでかけ、たくさんの汗を流して、太陽と肉体労働を楽しみます。

2009年4月10日(金)
おにろく通信 26
 工房の前のたむしばの花が咲きました。白い美しい花です。けれども、ぼくは手放しで喜ぶ気持になれません。このところの暖かさは異常で、この花はこんなに早く咲くべき花ではないとおもいます。花さえ咲けば人は喜びますが、正しい季節に正しい花が咲いてほしいと、ぼくはおもいます。

 一週間ほどかけ工房の掃除をしたせいばかりではないでしょうが、機械を動かして大きな音を出したり埃をたてたくなくて、この、二、三日、手しごとをしています。機械と仲良くしなければ仕事がはかどらず、二進も三進もいかないのはわかっていますが、やはり手しごとが好きです。きょうあたりは、ひさしぶりに鉋を握りしめたせいで指が痛み、木槌で鑿を叩いたせいで肩が張りますが、しばらくは手しごとをつづけます。
2009年4月3日(金)
おにろく通信 25

 


 きょうは良い天気で、店の入り口に座り、奈良井駅の写真を撮りました。
 奈良井駅は明治42年の開業で、ことしは百周年です。付近の駅は無人のところが多いのですが、奈良井は有志の人が交替で乗車券の販売などの業務をしています。ぼくの右手に奈良井宿の古い町並みがあります。中山道69
次のちょうど中間の宿場で、江戸時代はとても賑わったそうです。難所の鳥居峠をひかえ、旅人はここで息を整えたのでしょう。奈良井にはまだそんな気配があります。

2009年3月27日(金)
おにろく通信 24


 この一週間は木工をしませんでした。体調が悪かったり、用事があったわけではなく、ずっと工房の片づけと掃除をしていました。
 去年の春から木工旋盤をほぼ休みなく練習してきて、工房を見まわすと、埃だらけなのに気づきました。作業中必要なときは集塵機を使っていたのですが、能力以上の埃が舞ったようです。まだ、隅々まできれいになったとはとても言えないのですが、きりがないので、明日からまたしごとを始めます。

 今月、「おにろくの店」は週末の午後だけ開店してきたのですが、明日28日土曜日からは毎日営業します。ぼくが店番をできない日は、妻と息子が開けてくれるそうです。というより、ぼくは無愛想なので、妻のほうがお客さんは楽しく商品を見られるのではないかとおもいます。息子はギターを弾き歌いながら店番をすると言っているので、一風変わった店になるかもしれません。

2009年3月20日(金)
おにろく通信 23

 夜の雨も朝方にはあがり、きょうは暖かな一日でした。
 ひさしぶりに、妻と車で松本市に買物に出かけました。ぼくはいつもの画材店で、500mlのテレピンを二本買いました。テレピンは漆の粘度を調整するために使います。
 ぼくの漆は我流です。何冊か本を読み、美術館で名品といわれるものも見ましたが、あとは自分で失敗をしながら、自分なりの方法を作ろうとおもってやっています。漆を塗り始めたころ、材料店で買ったテレピンのにおいに驚きました。まったく石油のにおいで、すぐ気分が悪くなってしまったのです。聞くと、今はもっと安価な灯油を使うのが普通だということでした。もともとテレピンは松の枝や根を精製して作られた純粋に植物性のものです。ぼくが今使っているテレピンは、清涼感のある松葉のにおいがします。これなら長いしごとも苦痛ではありません。
 写真は一回目の塗りを終えた「欅九寸盆」です。漆は何度も塗り重ねて、独特の柔らかな艶のでてくる塗料ですが、初期の塗りでは漆を等量ほどのテレピンで希釈します。可能な限り、良いテレピンを使って気持良くしごとをしたいと、ぼくはおもっています。

2009年3月13日(金)
おにろく通信 22

 三日ほど前に暖かな一日がありましたが、翌日は風花が舞い、きょうは冷たい雨です。残念ながら、薪ストーブの薪が終わってしまい、このところ灯油のストーブで暖をとっています。

 木工旋盤の練習を始めて、一年たちました。まだ十分に上手なものはできませんが、手加工とは違った面白さもあって、ずっと続けています。今までの旋盤は小さくて、直径15センチまでのものしか挽けませんでしたが、先日新しい旋盤を買いました。これだと、直径30センチ強の盆や鉢も挽けます。早速、栃の七寸平鉢(写真)などを挽いてみました。徐々に慣れて、なるべく早く、この旋盤で挽ける最大の深鉢を挽いてみたいとおもっています。
 ぼくは手持ちの材料も少なく、大量生産はできないので、一個一個材料にあわせてその場で形を考えながら挽いています。もし一個でも注文をいただければ喜んで挽きますので、お知らせください。漆を塗ると四ヶ月以上はかかりますが、木地だけなら、ご希望の大きさ、形のものを数日でお送りできるとおもいます。

2009年3月6日(金)
おにろく通信 21

 おとといの朝、10センチほどの積雪。きのう、きょう、暖かく、雨も降って、雪はほとんど消えました。このところ妻もぼくも風邪気味で、ぼくはきょう木工をまったく休みました。夜の漆はするつもりですが、気分を高めなくてはいけません。

 また、犬の話をします。
 凛はもらってきた乳臭いときからずっとぼくたちの布団のなかで眠ってきました。これは今も変わりません。このごろの習慣は以下のとおりです。まず、ぼくの布団のなかで喉を鳴らしながら数秒横になり、これはぼくに対する別れの儀式で、すぐに出ていき、あとは妻の布団のなかで朝まで眠ります。未明一時間ほどぼくの布団に戻ってきて眠ることもありますが、それほど頻繁ではありません。ぼくと寝るとき、凛はぼくにじかにくっつきますが、妻の布団では毛布を一枚へだてて眠るそうです。また、布団のなかでぼくが凛の耳をクシャクシャと揉むようなことをしてふざけても、凛はされるままですが、妻の布団のなかでは、妻がちょっとでも身動きすると、唸って威嚇します。寝返りなどでは当分騒ぎが続きます。それでも眠るのは妻の布団のなかと決めているのが不思議です。
 朝、起きるのは凛が最後です。ぼくたちの朝食がおわるころ、階段の上で鳴くので、抱いておろしてやります。茶の間にはいると、すぐじぶんの食器を点検しますが、なにもないので、ぼくと散歩に出ます。
 凛はそろそろ老境です。先日は朝いつまでも起きず、心配して二階にいき、静かに声をかけると、ぼくの布団からモソリモソリ出てきて、ヨロヨロ歩きました。抱くと、凛は動物らしい暖かい良いにおいがします。幼いころはもっと良いにおいがしました。

2009年2月27日(金)
おにろく通信 20

 きょうは日中も気温があがらず、寒い一日でした。予報では明日は暖かくなるそうです。「おにろくの店」の開店は四月からのつもりでしたが、このところ休日もなくしごとをつづけてきたので、気分転換の意味もあって、明日から週末と祝日の午後は店を開けることにしました。都合がつきましたら、お寄りください。

 ぼくの漆の塗りかたは、摺漆(すりうるし)とか拭漆(ふきうるし)とかいわれるものです。摺漆とは、器物に漆を塗り、それをすぐ拭きとる、それから漆を乾かし、乾いたら塗り、乾いたら塗るを何度かくりかえして、そのまま仕上げとするやりかたです。漆にはたくさんの複雑でむづかしい塗りかたがあります。そのなかで摺漆は最も単純で原始的な塗りかただとおもいます。摺漆に必要なのは、漆と二、三の簡単な道具、それと決まりごとをくりかえす辛抱強さだけです。そしてぼくのできる漆の塗りかたは、この摺漆だけです。
 漆のことはこれからも少しづつ書きつづけます。

 写真はぼくの漆の道具。道具ののっている水楢(みずなら)の板(長さ180センチ、幅45センチ、厚さ6センチ)は漆のしごとで汚れていますが、ぼくの宝物。

2009年2月20日(金)
おにろく通信 19
 漆のことを書くつもりでいましたが、それは次回にして、きょうの雪のことを書きます。

 朝、除雪車の大きな音で目がさめて、外を見ると、雪でした。すぐ服を着がえて家を出、雪かきを始めました。約20センチの積雪、それも水分をたっぷり含んだ重い雪で、すくいあげると雪かきの柄がしなるほどでした。
 雪かきは粉雪だと楽しいスポーツですが、湿雪だと苦役いがいのなにものでもありません。ほんの少しはねて、ため息をついていると、近所の人が小さな除雪機を押して雪を飛ばしはじめ、やがてマウンテンゴリラくらいの大きさの小型のラッセル車もかけつけて、それまでぼくがひとすくいひとすくい雪をはねていたあの行為はなんのことだったのかとおもうほどの速さで雪をかたづけてしまいました。
 雪かきの間も雪は降りつづけていましたが、ぼくが家にはいり濡れた帽子や手袋、ジャンパーを物干しに吊るすころにはもうみぞれに近く、それも午前中には雨に変わりました。工房で旋盤をやりながら、ときどき外を見ていたのですが、午後にはいっとききれいな青空が顔をみせ、そのあとまた雨が降りだしました。天気予報は今夜また雪といっていますが、粉雪でないのなら、はずれますように。

 写真はきょうのしごと二つ。右は欅のちょこ。左は樺(かば)の四寸汁椀。
2009年2月13日(金)
おにろく通信 18

 写真は、きのう挽いた栃の木のボウルです。大きさは直径102ミリ、高さ58ミリです。漆ではなく、オリーブオイルを塗って仕上げとしました。
 このボウルの口縁近くにはぐるりと一周黒いシミがあり、クレーの抽象画のようです。
 漆には漆じたいの色があって、塗ると木の素材感が薄れてしまうので、この栃のように木の特徴を十分に表わしたいときは、ぼくは食用のオイルを塗ります。

 きょうは全国的に天気が悪いようですが、木曽も雨が降っています。今が一年で一番寒い時期ですが、雪ではなく雨です。今年はまだ一度しか雪かきをしていません。

2009年2月6日(金)
おにろく通信 17

 ホームページには載せていませんが、ぼくの商品のなかに「コーヒーメジャースプーン」というのがあります。やわらかい朴か桂の木を削り、漆を塗ったスプーンですが、去年の秋、友だちから柄のもうすこし長いのを作ってくれないか、といわれ、それをすっかり忘れていたところ、年賀状で催促され、あわてて作りました。写真右がそれで、左のがわが家でずっと前から使っているものです。長さは18センチと13.5センチ、短いスプーンの値段は1,800円です。
 「コーヒーメジャースプーン」と名前がついていますが、厳密になんグラム入るというわけではありません。手でサクサクッと削るので一本一本同じ大きさには、やろうとすればできるのでしょうが、ぼくには面倒でできません。木曽あたりでは「大体=だいたい」を「なから」というのですが、このスプーンは、いわば、「なからのスプーン」で、それをいってしまえば、ぼくのしごとはすべて、「なから」です。

2009年1月30日(金)
おにろく通信 16
 奈良井はきょう雨、あすも雨の予報です。すこしばかり残っていた雪も消えてしまいそうです。

 写真は、桑のふたつき小鉢です。直方体の材をまん中で二つに切り分け、右のをきのう、左のをきょう旋盤で挽きました。大きさは直径72ミリ、高さ45ミリです。オリーブオイルを布に含ませ拭いて仕上げとしました。
 この桑は、切られる前に芯から傷みが始まっていたようです。縞状に色が違うのはそのせいだとおもいます。それをそのまま残そうとおもって、漆ではなく油を塗りました。使っているうちに、手擦れや日の光などで黒く変色していくはずです。今まで油で仕上げた桑はみなそうなりましたから。

 あすは桑の飯椀をひとつ挽き、そのあと工房の整頓と掃除をする予定です。機械類が増えて、工房は手狭になりました。
2009年1月23日(金)
おにろく通信 15

 去年、ぼくとしては大きな買物を三つしました。木工旋盤、欅の丸太、帯ノコ盤です。
 欅の丸太は製材所である程度の大きさまで挽いてもらいました。ここ数日、直径15センチの椀、30センチの盆を作るため、帯ノコ盤で小さく挽いています。挽きおわったら、旋盤で一度荒挽きをし、完全に乾燥するまで工房の隅に積んで置くつもりです。商品になるまで数年かかります。
 その一方、ごく小さな端材が出るので、それを小さな椀や皿に挽いています。水分をたくさn含んだ材を挽くので、何日かすれば形が歪みます。歪んで機能的に目的を果たせなくても、それはそれで何か別の用に使えばいいので、どう歪むか楽しみです。

 写真は、手前が帯ノコ盤、そのテーブルの上にあるのが欅の端材と器、奥に見えるのが旋盤です。

2009年1月16日(金)
おにろく通信 14

 きのうは小正月でした。写真は繭玉です。お米の粉を丸め、柳の枝に挿してあります。頂き物で、茶の間のぼくの頭の上に飾りました。

 年末年始は雪がありませんでした。九日に二、三センチ積もり、喜んで今年初めての雪かきをしました。そのあと、十日、十二日に十センチくらいずつ降って、ようやく今、冬めいた景色を眺めることができます。
 北海道で育ったせいばかりではないでしょうが、雪は大好きです。けれど、ある年は毎日雪かきをしなければならなくて、「雪かきも三日目になる黙りこむ」と俳句みたいなものを作って、嘆いたこともあります。
 雪が少なければ少ないで、多ければ多いで、ぼくたちは不満をいいます。そんな都合よくいかないことは十分に知っているはずですが・・・。

2009年1月9日(金)
おにろく通信 13

 ぼくと妻はめったに外食をしません。先日、松本市に買物に出て、一年ぶりくらいにレストランに寄りました。頼んだ料理がきて、一口、口に運んで、ぼくたちの感想は、「スプーンが重い!」でした。そのあと食べおわるまでずっと、味はそっちのけで「スプーンが重い!」「スプーンが重い!」と言いあって、笑いました。

 家でぼくたちが使うのは、ぼくが作った木のスプーンです。ぼくたちの手は木の軽さを記憶しているので、たまたま持たされた金属のスプーンにすっかり戸惑ってしまったわけです。
 写真の大きなスプーンがぼくので、材料は欅(けやき)、妻のは栃(とち)、ふたつとも摺漆(すりうるし)仕上げで、栃には縮緬(ちりめん)の模様(杢=もく)があります。

 正月になり、「おにろく通信NO,8」で書いた桑の飯椀を使いました。やはり第一に驚くのは、手取りの軽さです。お替りをしようと台所に立ち、しゃもじでごはんをよそって、驚いて手をとめました。間違えて、汁椀にごはんを入れてしまったと、おもったのです。手だけでなく、目も、磁器の碗を記憶していたのです。
 この違和感がいつ消えるか、ぼくは楽しみに待つことにします。磁器の飯碗を手に取って、その重さに驚く日が近いうちにくるはずです。

2009年1月1日(木)
おにろく通信 12

 あけましておめでとうございます。ことしも、おにろく工房のホームページを頻繁にご覧くださるよう、お願いいたします。

 きょう元旦はぼくの誕生日で、妻がその祝いに、写真のチェーンソーを買ってくれました。リョービESE-3000(排気量28.5cc、バーの長さ30センチ)です。
 「おにろく通信NO.4」に書きましたが、去年、薪ストーブを茶の間に設置しました。しかし、急なことで十分な薪の用意もなかったところ、建築廃材などいただいて、なんとか年を越せたのですが、手鋸をひくのは体力的につらいのと、春にはすでに切り倒して山に放置したままの落葉松の間伐材を相当量いただけるようなので、妻に頼んで買ってもらったのです。

 というわけで、この夏は木工、漆、野菜つくり、そのうえに山仕事、と考えただけで目がまわりそうなのですが、なんとかこなして、冬の薪ストーブ生活を楽しみたいと(今から!)おもっています。

2008年12月26日(金)
おにろく通信 11

 先月20日の初雪からずっと雪が降りません。きょうは朝から風花のような雪が舞い、畑がわずかに白くなりました。午後になっても気温があがらない、寒い一日です。
 写真は工房の窓の外に立つ、タムシバの木です。タムシバはコブシや朴の木と同じモクレン科の木です。近くで見ればよくわかるのですが、枝先には厚い綿毛におおわれた花芽がたくさんついています。春には葉にさきだって甘く良い香りの白い花が咲くのですが、真冬日の銀色の空の下ではそれは信じられないことです。  

 ことしももうあと六日を残すのみになりました。一日一日多くのことをして暮らしているはずなのですが、一年をふりかえってみるとなにもしないで過ごしてしまったようにおもうのはぼくだけの感想でしょうか。

 「おにろく通信」を読んでいただき、ありがとうございました。今年は今回で終わりですが、新年一日からまた始めます。来年は新しい商品を紹介するページもつくりたいねと、妻と話しています。またぜひご覧ください。それでは、良いお年を。

2008年12月19日(金)
おにろく通信 10

 杏(あんず)の薄いちいさな板を二枚もらいました。材料としての杏に触るのははじめてで、大喜びでバターナイフとスプーンを作りました。写真がそれです。使い切ると、全部で三十本ほど作れそうです。
 杏は桜と同じく、バラ科の木です。赤味で、木目がくっきり強く、削ると甘い、良い香りがただよいます。桜も硬い木ですが、それより一層パリッと硬い、ような気がします。
 スプーンなどをじぶんであつらえた小さな鉋で削る人もいますが、ぼくは切出し小刀で削ります。こどものころの鉛筆削りを今も熱心に続けているのです。スプーンのくぼみだけは彫刻の丸曲刀で削りますが、あとは全部小刀のしごとです。小刀のあとは、サンドペーパーの目の粗いものから細かいものまで五段階で磨き、今回は漆ではなく、オリーブ油を布で強く擦りつけて終わりにしました。時間を正確に計りながら作るわけではありませんが、一本二時間ほどかかるのかな、とおもいます。うつむきがちなしごとですから、終わると首筋が凝ります。つづけて何本も作ることはできません。ほかのしごとに移ります。

2008年12月12日(金)
おにろく通信 9

 寒さが増し、奈良井を訪れる人も少なくなりました。去年と同じように、「おにろくの店」は十二月から来年三月まで休みます。

 きょうの写真は、ぼくと妻が毎日使っている汁碗です。二つとも材料は栗の木、口縁に割れ止めの布着せをして、ぼくのは漆、妻のは漆に松煙を混ぜた黒漆で摺りました。旋盤ではなく、内側を二種類の丸ノミ、外側は平ノミ一本で手で削ったものです。上から見ると,機械で挽いてできる円ではなく、むしろ楕円に近い歪みがあります。指の腹でゆっくりなぞってみると、あるところは厚く、あるところは薄く、でこぼこです。とても商品にはなりませんが、実用には支障がありません。
 この春から旋盤の練習をくりかえして、手で削りだす作業からすっかり離れていましたが、店を閉める冬の間、またのんびりと手しごとを楽しめたらいいな、とおもっています。

2008年12月5日(金)
おにろく通信 8

 おみそ汁は漆椀、ご飯は陶磁器、とぼくたちは決めているようです。ぼくじしんも生まれてずっと磁器の碗でご飯を食べてきました。一度だけ、雑誌で、栗の、溜塗り(ためぬり)の飯椀を見たことがありますが、木の椀でご飯を食べたら、どんな感じがするものでしょうか。

 ぼくも飯椀を作ってみました。写真がそれです。材料は桑の木、すり漆で大きさは直径12センチ、高さ56ミリです。もう少し外形を厳しく直線的にひろげたかったのですが、汁椀のふっくらした外形を、作業するぼくの体が記憶しているのか、どうしても思う形にはなりませんでした。今回はこれで良しとします。

 八月に木地を挽き、九月上旬に漆を塗り始め、十一月下旬に塗り終わりました。あと一ヵ月ほど待てば、漆もすっかり乾き、においも消えます。来年の正月は漆椀でご飯をいただきます。楽しみです。

2008年11月28日(金)
おにろく通信 7

 閑話休題。
 きょうはしごとの話はしません。

 写真の犬はわが家の愛犬、凛(りん)です。雑種で、11才です。生まれてすぐ大病をして、その後遺症で、じょうずに歩けません。いつも家のなかにいて、いっしょの布団で眠ります。外に出るのは、用便の時だけで、終わるとすぐ帰ります。人も犬も嫌いです。
 ちいさな時はまっ黒で、顔も丸かったため、よく熊の子にまちがわれました。年がたつにつれて、白い毛がどんどん広がり、このままでは白犬に変わるのではないかとおもいます。
 ぼくはときどき詩を書くので、凛の詩もいくつか書きました。そのなかに「お(尾)」というのがあります。じぶんの詩ですが、ぼくはこの詩が大好きで、暗誦できるのもこの詩だけです。以下に書きます。

          りんというのが
          わがやのいぬだ
          くろくて
          ちいさい
          ざぶとんにねて
          いびきをかく
          おならをして
          それをさがしてまわる
          ときどき
          むすめをかむ
          むすこをかむ
          つまをかむ
          ぼくもかまれる
          すきだからだ
          ひとはかまない
          きらいだからだ
          みると
          にげる
          おをまたのあいだにかくしている

                                                  おわり。

2008年11月22日(土)
おにろく通信 6

 今度、新たに木のおもちゃのページを追加しました。

 20年前に木工を始めたとき、最初に注文をいただいたのは、保育園の下駄箱三個でした。八分の楢で枠を、背板に六分の桂を使いました。終わったときに端材がたくさん残り、作ったのが「くるま」で、それからずっと、おもちゃを作りつづけています。

 アイデアはいろいろとおもいうかんでも、実際に作ってみるとおもしろいものは少なく、断念したもののほうがずっと多いのです。謙遜ではなく、本当に単純で平凡でとりえのないものしか作れませんが、あきずに長く使われるものを作りたいとおもっています。多種類の木を組みあわせ、木そのものの質感を生かすため、色をぬらないこと、化学的な塗料を使わないことを心がけています。

2008年11月21日(金)
おにろく通信 5

 きのう、初雪でした。もう少しあとだろうとおもっていたのですが、あわてて、車のタイヤをスタッドレスに換えました。

 頼まれて、ゲームを製作中です。
 左の写真は、その一回目の試作です。イギリスあたりのゲームで、「コネクトフォー」というのだそうです。日本の五目並べと同様で、二人の競技者が一コずつ自分の球を置いていき、四コつづければ勝ちです。ただ、このゲームの場合は、平面のタテ、ヨコ、ナナメだけでなく、立体的につなげてもよいという違いがあって、ちょっと戸惑います。台は水楢(みずなら)、棒と白球は、ぶな、黒球は槐(えんじゅ)で作りました。大きさは、たてよこ15センチ、高さ13センチです。
 棒間が狭く、球のつながりが身ずらいという指摘をもらいました。オリジナルのものは棒間が広く、それが視覚的に間延びしているようにぼくにはおもえて変えたのですが、実際に比べてゲームをしてみると、確かに広いほうが見やすいのです。そのほかにも欠点があり、それらをふまえて、ちかぢか二回目の試作です。

2008年11月14日(金)
おにろく通信 4

 このところ朝晩めっきり冷えてきました。ぼくの家は山かげのせいもあって、暖房なしに過ごせるのは昼間の数時間だけです。
 茶の間はこれまで灯油ストーブだったのですが、ことしは薪をいただいたので、工房にあった薪ストーブを茶の間に移しました。数年前、量販店で買った低価格のストーブで、形は武骨ですが、鋳物で、片面がガラスの窓になっています。ぼくの炬燵の席から真正面に、朱色の炎が煙突のある左側へ揺れてたなびいているのが見えます。薪で暖められた空気はやわらかく、うっとりと眠くなりますが、昼は木工、夜は漆のしごとに当てているので、眠らないでがんばりましょう。(けれども、時にはいねむりをするかもしれません。)

 山は落葉がすすみ、今は落葉松の黄葉が主役です。ことしの落葉松は赤味が強く量感もあって、例年より堂々としているように見えます。落葉松も落葉すれば、そろそろ雪です。

2008年11月4日(火)
おにろく通信 3

 おととい(2日)、長野県下諏訪町の「御田(みた)町クラフツ&アーツ」に出店しました。小春日和に恵まれて、楽しい一日でした。スタッフのみなさん、わざわざ足を運んでいただいた、酒井さん、成尾さん、小林さん、ありがとうございました。
 
 ぼくの家から奈良井駅前の「おにろくの店」までは歩いて15分ほどの道のりです。小さなリュックを背中に周囲の山々を見まわしながら歩くのは楽しいことですが、この一週間ほどで赤い葉は落ちてしまい、今は落葉松の淡い黄色が煙のようにたなびいています。山が一日一日小さくなり、雪虫の舞うのを見ると、また寒い冬がくるのだなと実感します。

 店番をしながら、一時間ほど読書をしようとおもって、藤村の「夜明け前」を読み始めました。以前、「第一部」だけ読んで放棄したのですが、今度は読みきることができるでしょうか?

2008年10月22日(水)
おにろく通信 2

 ホームページに激励と助言をいただきました。ありがとうございました。改良を重ねて、内容のある楽しいものにしていきたいとおもっています。これからもよろしくお願いします。

 この春から木工旋盤の練習を始めました。なにより、美しく椀を作りたいというのが、今一番の気持ちです。日本人が食事をやめない限り、椀はいつもそばになければならないもの。さりげなく人のそばにあって、その手に触れられる漆の椀を作ろうとおもいます。

 写真の椀はまだつくりかけです。すり漆の三番目の工程を終えました。あと九工程。一工程の間に一週間ほど放置しますので、漆をぬりはじめてから、三ヶ月後くらいにできあがります。材は楓(かえで)、大きさは径十二センチ、高さ八センチ。すこし大ぶりの椀です。



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